日本における党首の名称の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 13:48 UTC 版)
「党首」の記事における「日本における党首の名称の変化」の解説
かつて日本で「党首」の語は、総裁、委員長、代表など党ごとに名称の異なる最高職を包括する一般名称としての意味合いが専らで、「指導者」、「領袖」などと同じく正式名称として用いられることは滅多になかったが、1990年代以降は採用する政党が現れ始めている。 戦前の保守政党は、党首の名称に「総裁」を採用する例が多かった。「総裁」の名称は明治初期の政府の最高職で「万機を総べ、一切の事務を裁決す」として政治全般を統括したことが由来で、政党党首の名称として総裁を採用したのは1900年に結成された立憲政友会が最初とされる。一方で革新政党の党首は社会主義的な組織にならい、「委員長」や「書記長」を名乗った。 戦後の55年体制下では、保守政党の流れを汲む自由民主党が「総裁」を採用したのに対し、社会主義の流れを汲む日本社会党や民社党は「委員長」を採用した。1964年に中道政治を目指し結成された公明党も、当時社会主義運動が盛り上がっていた事もあり、党首の名称は「委員長」であった。主要な政党で党首の名称に「代表」を用いるようになったのは、1976年結成の新自由クラブからで、革新ではないが、自民党ほど古めかしくないとの意味も込められていた。 1990年代に新党ブームが巻き起こった際は、日本新党や新党さきがけなど、党首の名称に「代表」を用いる政党が増え、一大ムーブメントとなった。一方で、新生党は少し趣を変え党首の名称をそのまま「党首」とした。「党首」の名称は、新生党の流れを汲む新進党・太陽党・自由党・保守党や、1996年に社会党から改組した社会民主党などが採用していたが、新進党の失速以降は民主党や1998年に再結成された公明党のように党首名に「代表」を採用する事例の方が増え、自由党が解散した2003年以降は党首名に「党首」を採用している政党は長らく社民党のみであった(後に、次世代の党(2014-2015)、NHKから国民を守る党(2019- )などが党首名に「党首」を採用している)。
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