日本におけるバスクの認知
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 00:45 UTC 版)
「バスク地方」の記事における「日本におけるバスクの認知」の解説
1968年には梅棹忠夫らの京都大学ヨーロッパ学術調査隊がバスク地方に3-4カ月滞在して調査を行い、桑原武夫の編集による一般向け書籍がバスク人の生活を伝えた。1983年に司馬遼太郎が書いた『街道をゆく 22 南蛮のみち1』などがバスク・ブームを喚起し、1980年代にはバスクへの関心が飛躍的に高まったとされている。司馬はフランシスコ・ザビエルの訪日を起点に南蛮文化のルーツを求め、カンドウ神父の功績やバスク語・バスクの風習などを紹介した。1990年代になると日本人のバスクに対する関心が多様化し、バスク語や独立問題への関心より文化的関心(スポーツ・芸術・料理)に主流が移った。1997年のビルバオ・グッゲンハイム美術館の開館によってバスクのイメージは完全に刷新され、多くの観光ガイドブックにビルバオが掲載されるようになった。2006年には日本バスク友好会という任意団体が東京に設立され、2009年にはバスク州が公認する国外バスク系コミュニティが東京に設立された。
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