日吉神社 (名古屋市名東区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 日吉神社 (名古屋市名東区)の意味・解説 

日吉神社 (名古屋市名東区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/30 15:19 UTC 版)

日吉神社

拝殿
所在地 愛知県名古屋市名東区上社2丁目45-1
位置 北緯35度10分33.2秒 東経137度0分32.5秒 / 北緯35.175889度 東経137.009028度 / 35.175889; 137.009028 (日吉神社 (名古屋市名東区))座標: 北緯35度10分33.2秒 東経137度0分32.5秒 / 北緯35.175889度 東経137.009028度 / 35.175889; 137.009028 (日吉神社 (名古屋市名東区))
主祭神 大己貴神
罔象女神
大山咋神
例祭 7月:天王祭本祭
10月:秋の大祭
地図
日吉神社
テンプレートを表示

日吉神社(ひよし じんじゃ)は愛知県名古屋市名東区上社にある神社

概要

日吉神社の創建年代は不詳であるが、(旧)上社村の丘の上にあった山王社は、古くから鎮守社としてこの地の信仰の中心地であった。社蔵には1640年寛永17年)の棟札があり、また『寛文村々覚書』の掲載から創祀は江戸時代以前に遡ると思われる[1]

年表

祭神

御嶽信仰

現在は高層建築に被われて見ることはできなくなったが、かつて日吉神社の「奥の院」の頂きからは、鬼門、丑寅の方角に霊峰御嶽山を望むことができた。言い伝えによれば、日吉神社の氏子中による御嶽信仰が始まったのは創建当時からで、この地には「伊勢に七度、熊野に三度、日吉御嶽百度詣り」という言葉が今に残されている。また氏子総代による年に1回の御嶽参拝は現在も欠かすことなく続けられている[2]

「足の碑」と「勇者の碑」

日吉神社の「奥の院」まで続く階段は四十八段(四苦八苦を乗り越えると言う意味がある)、頂きには「神石」と「霊神碑」が座している。神石は御嶽山頂の御嶽神社から拝受し、この杜の頂に鎮座されたと言われている。霊神碑は御岳山から神石を持ち帰った先人達の偉業と健脚を偲び建てられたと言われている。現在、神石は「足の碑」また「勉学の碑」、そして霊神碑は「勇者の碑」として尊ばれ、これに触れ祈念すれば、すべての人々に御嶽明神とその信仰を守り続けた先人の御霊の御加護があると信じられている[2]

交通アクセス

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ 名古屋神社ガイド - 日吉神社”. 2020年8月1日閲覧。
  2. ^ a b 氏子総代による口述伝承





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  日吉神社 (名古屋市名東区)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日吉神社 (名古屋市名東区)」の関連用語

日吉神社 (名古屋市名東区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日吉神社 (名古屋市名東区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日吉神社 (名古屋市名東区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS