貴船神社 (名古屋市)とは? わかりやすく解説

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貴船神社 (名古屋市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 02:31 UTC 版)

貴船社(名古屋市名東区一社)
所在地 愛知県名古屋市名東区一社3丁目14
位置 北緯35度10分6秒 東経137度0分6.6秒 / 北緯35.16833度 東経137.001833度 / 35.16833; 137.001833 (貴船神社 (名古屋市))座標: 北緯35度10分6秒 東経137度0分6.6秒 / 北緯35.16833度 東経137.001833度 / 35.16833; 137.001833 (貴船神社 (名古屋市))
主祭神 罔象女神(みつはのめのかみ)[1][注釈 1]
創建 1670年代前半と考えられる[1]1684年8月江戸時代初期)に社殿再建。[1]
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貴船神社(きふねじんじゃ)は、愛知県名古屋市名東区一社3丁目14番地に存在する神社。法人格の名称は宗教法人貴船社法人番号7180005001911)。「貴舩神社」「貴船社」という表記も用いられる。この項目では、名古屋市名東区一社3丁目に存在する貴船神社について解説する。同じく名古屋市名東区内の貴船に存在する貴船神社や、かつて名東区上社に存在した貴船神社とは異なる。

概要

名古屋市名東区内には現在「貴船神社」という名称の神社が本項目を含めて2つ存在する[1]。一方は、本項目で解説する名東区一社に存在する「貴船神社」で、他方は名東区貴船に存在する「貴船社」である。なお一社に存在するものを「貴船神社」、貴船に存在するものを「貴船社」と表記されるが、正式にはどちらも「貴船社」である[1]。かつては、上社村(現在の名東区上社)にも貴船神社があったが、1909年日吉神社に合祀された[3]。本項目で解説する貴船神社の東側には神蔵寺が併設されている。

この周辺の地域(上社村、下社村、一色村の3村)では「矢白の伝説」[注釈 2]という伝説が伝わっており、それに由来する「矢白神社」[注釈 3]が現在の貴船、一社、上社[注釈 4]にある「貴船神社」の前身とされる[4]。 境内には、区画整理により現在の打越交差点付近に「開墾記念碑」と共に祀られていた「金比羅宮」が移設されている。[2]

歴史

前述の通り、この周辺(上社村、下社村、一色村のこと。以下、社村と呼ぶ。)にある貴船神社の前身は「矢白の伝説」[注釈 2]による「矢白神社」[注釈 3]と言われ、社村の守り神として祀られていた[5]。その後、社村が一色村、上社村、下社村の3村に別れた際に「矢白神社」[注釈 3]も3つに分けられたとされ[5]、それらが後に現在の名東区に複数存在する「貴船神社」[注釈 5]となったと考えられる。本項目で解説している貴船神社の周辺は社村のうち「一色村」(「いっしきむら」、「いしきむら」とも[1])であり、一色村の貴船神社は3村に創建された神社のうち最も新しいと考えられる[3]。現在の貴船神社に併設されている神蔵寺の東側には一色城[注釈 6]建てられていたように16世紀には柴田勝重柴田勝家の勢力の下にあった。

※ 「一色村」「下社村」「上社村」に関しては名東区#歴史の項目を参照

1670年代前半に貴船神社は創建されたと考えられる[1]が、創建された年代を明確には特定できない。

名称の由来

「猪高村誌」によると「柴田勝家の領地の川には橋がなく、勝家の定めによって造られたられた舟橋で通行していた。舟橋というのは、川に舟を並べて繋ぎ、その上に板を渡した仮の橋を言う。その貴い舟を神の名にしたというのが、貴船の名の由来」と紹介されている。[2]

年表

備考

基本的に無人の神社だが、月例祭の有る毎月1日と15日は午前10時頃まで社務所が開かれる。

周辺

神蔵寺
貴船神社の東側に併設されている。一色城内と共に柴田勝重により創建された。
秋葉神社
貴船神社の南側にある神社。貴船神社との関連は不明。

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 貴船社(一社) 名古屋神社ガイド”. 2020年3月30日閲覧。
  2. ^ a b c 貴船神社 一色村”. 2020年3月30日閲覧。
  3. ^ a b c 貴船社(貴船)名古屋神社ガイド”. 2020年3月30日閲覧。
  4. ^ 現身日和”. 2020年3月30日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 御朱印ダッシュ”. 2020年3月30日閲覧。

注釈

  1. ^ 「猪高村誌」は、貴船神社の祭神を「高靇神」とし ているが、「(大正7年版)猪高村誌」は「祭神罔象」としている。なお1952年宗教法人設立の際の規則承認申請書には祭神を「罔象女神」として届け出ている [2]
  2. ^ a b ヤマトタケルの父親である景行天皇の時代に武内宿禰がこの辺りに立ち寄った。そのとき水不足で作物が育たずに困っていた村を見た武内宿禰は白鷹の羽で作った矢を村人に与え、水の神である罔象女神を祀るように言った。村人がそれに従ったところ雨が降り水不足は解消された。白い羽の矢を祀った社は矢白社(やしろしゃ)と呼ばれるようになり、後に矢白(やしろ)から社(やしろ)に転じ、矢白社を境に北を上社、南を下社というようになった。」という伝説。
  3. ^ a b c 「矢白神社」というものが実際に存在していたかどうかや、どこに存在していたかなどは不明である[3]
  4. ^ 前述の通り、上社村に存在した貴船神社は日吉神社に合祀された。
  5. ^ そのうち下社村に1662年に創建されたのが現在の名東区貴船に存在する「貴船社」、上社村に創建されたのが日吉神社と合祀された「貴船神社」。本項目で解説しているのはそのうち、一色村に創建された「貴船神社」である。
  6. ^ 一色城は現在の神蔵寺の東側、「グランドメゾン一社レジデンスシティー」付近に存在した。なお一色城跡の石碑が神蔵寺境内にある。



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