新川橋 (吉川市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 新川橋 (吉川市)の意味・解説 

新川橋 (吉川市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/25 14:51 UTC 版)

新川橋

新川橋(しんかわばし)は、埼玉県吉川市大字川藤と同市大字須賀の間を流れる中川に架かる、吉川市道1-979号線[1]の道路である。

概要

中川の河口からおよそ32.4 kmの地点に架かる[2][3]橋長89.30メートル、幅員11メートルの2径間鋼鈑桁橋である[1]。橋桁は黄系統の塗色である。歩道は下流側のみに設置されている。橋の西詰は丁字路になっている。

中川により分断された吉川市の大字須賀や大字川藤や大字川野の一部(西部地域[4])にとって、市の中心地との唯一の交通手段となっている橋である。橋の東詰は東京都道・埼玉県道67号葛飾吉川松伏線が中川の左岸沿いを通り、新川橋交差点が設置されている。建設中の東埼玉道路へのアクセス道路として将来架け替えもしくは大幅な改修が検討されている[5]

橋の諸元

  • 道路区分:市道(吉川市道1-979号線)
  • 橋長:89.3 m
  • 支間割:44.1 m+44.1 m
  • 形式:連続鋼箱桁
  • 着工:1984年昭和59年)[6]
  • 完成:1988年(昭和63年)[7]
  • 開通:1990年(平成2年)4月16日[6]
  • 管理者:吉川市
  • 車道:片側1車線

歴史

昔の大落古利根川(現在の中川、以下古利根川)は西に大きく逆「S」の字を描くように蛇行して流れていた。その流路は吉川市と越谷市の境界とほぼ一致する。いつから設けられていたかは定かではないが、川藤村には江戸後期までに「榎戸渡し(さんこう渡し)」が、須賀村には『新編武蔵風土記稿』より見出せる「せきの渡し(せき舟の渡し)」と称される農耕用の作場渡しの渡船場が置かれ[注釈 1]、川を隔てた増森村(現越谷市大字増森)と往来していた[9][10][11]。これらの渡船場は後述の河川改修により廃止された[9]内務省1915年大正4年)から1928年昭和3年)にかけて庄内古川や古利根川の河川改修を行った際に、蛇行した古利根川の流れに南北に直線的な捷水路が開削されたことで、旭村や吉川町(現吉川市)の一部地区が右岸側に取り残されることとなった[12]。当初は増森村を分断するように新流路が計画されたが、当村民からの激しい反発に遭い、現行の流路に計画が修正されている[注釈 2]。そのため、河川改修工事の際に右岸側に飛び地化された地域との往来を可能にすることを目的として、1車線分の幅員を持つ[6]本橋が初めて架橋された[9]。1946年(昭和21年)の航空写真[1]によると河川に構造物(橋梁)が設置されていることが判る。なお、古利根川から現在の中川と称されるようになったのは昭和20年頃からである[13]。旧流路は昭和後期までとして残されていたが、その後埋め立てられている。河跡は道路の線形や、土地利用などから明瞭に判別できる。また、本橋の下流側で中川に合流する新方川の合流点付近は、古利根川の旧河道を流用したものである。 現在の橋は1984年(昭和59年)度に事業着手され、総事業費9億400万円を投じてそれまでの橋の60メートル川上側に吉越橋の開通と同時期の1990年(平成2年)に架けられたものである[14]。開通式は同年4月16日に挙行され、地元の2組の三世代夫婦による渡り初めが行われた[6]

周辺

左岸側は住宅地であり、右岸側は市街化調整区域で農地が多く見られる[4]。右岸側で堤防の築造や河川区域の拡張などの河川改修工事の実施に伴い、右岸沿いを通る取付道路の改修が行われている。本橋の上流側は古利根川と庄内古川(中川)の合流点がある。本橋の下流側に新方川と中川の合流点があり、逆三角形ワーレントラス形式の水管橋がある[15]。また、本橋のおよそ1.5 km[3]下流には吉川橋が架けられている。

隣の橋

(上流) - 庄内古川・古利根川合流点 - 新川橋 - 吉川橋 - 吉越橋 - (下流)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 『新編武蔵風土記稿』「作場渡アリ埼玉郡中嶋村ニ達ス」[8]
  2. ^ 外部リンク節の『中川 〜 赤岩橋から吉川橋まで』を参照。

出典

  1. ^ a b 吉川市 橋梁長寿命化修繕計画 個別施設計画(橋梁)【令和2年3月】 (PDF)”. 吉川市役所. p. 2 (2020年4月13日). 2021年12月19日閲覧。
  2. ^ 中川(中川・綾瀬川)河川維持管理計画【国土交通大臣管理区間編】 (PDF)”. 国土交通省関東地方整備局 江戸川河川事務所. p. 75 (2017年3月). 2022年9月25日閲覧。
  3. ^ a b 地域防災計画 資料編 (PDF)”. 吉川市役所. pp. 82-83 (2019年3月). 2021年12月19日閲覧。
  4. ^ a b 吉川市都市計画マスタープラン (PDF)”. 吉川市役所. pp. 75-79 (2011年11月). 2021年12月19日閲覧。
  5. ^ よしかわ市議会だより 2020.11(No.187)”. 吉川市議会. p. 11 (2020年11月). 2021年12月19日閲覧。
  6. ^ a b c d 平成2年4月18日『埼玉新聞』 14頁。
  7. ^ 橋梁年鑑 新川橋 詳細データ - 日本橋梁建設協会. 2022年9月25日閲覧。
  8. ^ 新編武蔵風土記稿 須賀村 古利根川.
  9. ^ a b c 埼玉県 『中川水系 人文 -中川総合調査報告書2-』埼玉県、1993年2月10日、491-495頁。 
  10. ^ 古利根川のほとりの寺院をたずねる(3) (PDF)”. NPO法人越谷市郷土研究会. p. 1 (2007年11月7日). 2021年12月21日閲覧。
  11. ^ 平成11・12年調査 増林地区石仏 増林村・増森村・中島村・花田村・小林村 (PDF)”. NPO法人越谷市郷土研究会. p. 2 (2015年8月). 2021年12月21日閲覧。
  12. ^ 川の改修の変遷”. 埼玉県庁 (2020年10月23日). 2021年12月19日閲覧。
  13. ^ 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1947 カスリーン台風 第5章 利根川氾濫流の流下と中川流域 (PDF)”. 内閣府防災部門HP. p. 121 (2010年1月). 2021年12月19日閲覧。
  14. ^ 吉川市の歴史と年表”. 吉川市役所 (2014年7月8日). 2021年12月19日閲覧。
  15. ^ 水管橋(その15) - 有限会社フカダソフト.2021年12月19日閲覧。
  16. ^ なまず御前が(令和3年4月15日)”. 吉川市役所 (2021年4月27日). 2021年12月19日閲覧。

参考文献

関連文献

  • “新川橋の補修近く着工”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 2. (1949年1月25日) 

外部リンク

座標: 北緯35度53分59.98秒 東経139度50分18.51秒 / 北緯35.8999944度 東経139.8384750度 / 35.8999944; 139.8384750




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  新川橋 (吉川市)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「新川橋 (吉川市)」の関連用語

新川橋 (吉川市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



新川橋 (吉川市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの新川橋 (吉川市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS