文化的交流において言及される類似点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 09:25 UTC 版)
「仏教とキリスト教」の記事における「文化的交流において言及される類似点」の解説
プラノ・カルピニやウィリアム・ルブルックといった13世紀の国際的な旅行家たちは、仏教の聖典、教義、聖人、禁欲生活、瞑想の実践、また儀式は、キリスト教のそれに匹敵し、そしてまた、ネストリオス派キリスト教の共同体は、伝統的に仏教徒の共同体と非常に近接していたと報告している。16世紀前半にヨーロッパのキリスト教徒が仏教とより直接的に交流するようになると、多くのカトリックの宣教師(例えばフランシスコ・ザビエル)が仏教に関する牧歌的な報告を本拠地に送った。しかしながら同時期に、スリランカへのポルトガル人入植者たちが宣教師と全面的に協力し、スリランカ中の仏教徒の財産を没収している。このスリランカにおける仏教抑圧は続くオランダやイギリスの統治下でも続いた。ポルトガルの歴史家ディエゴ・デ・コントはヴァティカンにヨサファトは実際にはブッダであることを連想させた。 18世紀後半にヨーロッパの大学で仏教の研究が始まり、続いて仏教のテクストが利用可能になると、仏教との適切な邂逅に関する議論が始まった。仏教の教えや慣習が尊重されるようになり、19世紀末には西洋人で初めての仏教への改宗者(例えばサー・エドウィン・アーノルドやヘンリー・スティール・オルコット)が現れ、20世紀初めには西洋人で仏教の修道生活を行うもの(例えばチャールズ・ヘンリー・アラン・ベネット(英語版)やニヤーナティロカ(英語版))が現れた。 20世紀にトーマス・マートン(英語版)、ウェイン・ティーズデイル(英語版)、デイヴィッド・スタインドル=ラストといった、キリスト教の修道僧やかつての修道女カレン・アームストロング(英語版)とプッタタート、ティク・ナット・ハン、ダライ・ラマ14世といった仏教の修道僧が宗教間対話に力を注いだ。彼らはそれぞれ、イエスと仏陀の、別の方法の全く異なる教えの中には、病んだ世界に対して深い治療法を与える可能性のある知見と、目的の基本的な共通性を見出している。仏教とキリスト教の出会いは、数百年かかって20世紀の重要な出来事だと考えられるようになったのではないか、と世界文化史家アーノルド・J・トインビーは推測している。
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