教育の概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 01:46 UTC 版)
沿革のとおり陸軍経理学校は約55年の歴史において教育体系と教育対象が何度となく変更され、教育内容もそれに応じて多様であった。その中より資料で確認できる明治後期と昭和10年代初期の教育内容、および昭和10年代中期の甲種幹部候補生教育の3例を後述する。 陸軍経理学校における教育指針は、陸軍軍吏学舎長を務めたのち欧州を視察した川口武定が普墺戦争の敗戦国オーストリアの戦訓を参考に決定したとする論評がある。オーストリア帝国の陸軍経理官は文官で、法規に固執して第一線将校たちの要請を無視し戦況に適応した補給や給養が円滑に行われず敗因のひとつになった。これを認識して経理官の育成に戦術教育を重視している戦後の姿を川口は目の当たりにした。帰国後に川口が初代校長となった陸軍経理学校では一般戦術のほか、学生・生徒ともに教育科目の中で「作戦給養」の比重は大きかった。 軍人としての経理官教育の一方で、法律や経済、あるいは建築などの専門学科においては優秀な文官教授が選ばれた。法学は一木喜徳郎、清水澄、杉村章三郎、我妻栄、有賀長雄、高橋作衛、経済学は天野為之、高野岩三郎、河津暹、建築学の三橋四郎、内田祥三など一流の学者が若松台の教壇に立っている。
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