政治情勢と暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 06:58 UTC 版)
「ガブリエル・ガルシア・モレノ」の記事における「政治情勢と暗殺」の解説
845年から1860年まで、エクアドルは無秩序に近い状況にあり、一連の束の間の体制によってかろうじて支配されていた。しかも大部分は自由主義であった。この不安定でほとんど無政府的な状況から、ガルシア・モレノは国を救ったのであった。 自由主義者はガルシア・モレノを憎んでいた。彼が1875年に3回目に選ばれたことは、彼の死刑執行令状であると考えられた。彼はすぐにピウス9世教皇宛に8月30日の就任日以前に祝福を求める手紙を書いた。 私は、終わりまで我々の救世主の誠実な息子であり、無謬の代理人の忠実で従順な下僕であるために必要とする強さと光が持てるよう、その日の前に聖下の承認を得たいと望んでおります。ドイツによって扇動された近隣諸国のフリーメーソンのロッジが、私に対して様々な酷い侮辱と恐ろしい中傷を吐いており、ロッジが私の暗殺をひそかに手配している今、私が我々の神聖な教えと、私が再び統治するよう使命を受けたこの愛する共和国を守るために、私はこれまでより神の保護をより多く必要としています ガルシア・モレノの予測は正しかった。彼はキトの大聖堂を出ている時に、ナイフとリボルバーで襲われて暗殺された。彼の最期の言葉は"¡Dios no muere!"(「神は死せず!」)であった。ファウスティノ・ラヨは、鉈の6、7回の打撃で彼を襲う一方で、他の3人はリボルバー銃を撃った。 彼の暗殺の少し前の8月5日に、一人の神父がガルシア・モレノを訪ねて彼に警告した。「あなたの死がフリーメーソンによって命じられたと警告されました。しかし、あなたはいつであるか告げられていません。私はたった今、暗殺者がすぐに自分たちの計画を実行しそうであると聞いたばかりです。お願いですから、相応の処置をお取りください」 ガルシア・モレノは、似たような警告をすでに受け取っていると答えた。そして穏やかに熟考した後、彼が取ることの出来る唯 一の処置が、彼自身が神の前に出ることを準備することであると結んだ。 「彼は秘密結社のメンバーによって暗殺されたようである」と、公共の出来事を論評する同時代の記事は述べている。 死ぬ直前にガルシア・モレノは臨終の秘蹟を受けた。教皇ピウス9世は、ガルシア・モレノが「彼の愛する国への信仰とキリスト者の慈善のために犠牲となって亡くなった」と宣言した。
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