政治学へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 00:46 UTC 版)
東京帝国大学では小野塚喜平次の教えをうける。実家は吉野を大学に出す経済的余裕がなかった。妻たまのも仙台で小学校勤務を続けながら、十戸で長女・信を育てることとなった。信はのちに建築家土浦亀城と結婚する。 1903年(明治36年)、英語雑誌からエスペラントを知り、ロンドンから教科書を取り寄せて勉強。1904年(明治37年)、東京帝国大学法科大学政治学科卒業(銀時計受領)し、同大学院進学。同大工科大学講師就任。1906年(明治39年)、中国に渡り、袁世凱の長男・袁克定(中国語版)の家庭教師等を務めた。1909年(明治42年)、帰国し、2月5日東大法科大学助教授就任。1910年(明治43年)4月より3年間の欧米留学。1913年(大正2年)7月、3年間の留学を終えて帰国後、東京大学で政治史講座を担当することになった。初めての講義は、「現代政治的進化の外観」と題し、主に「社会主義」の過去・現在より各国における回答の情勢を詳述した。
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