政党政治と満鉄とは? わかりやすく解説

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政党政治と満鉄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:46 UTC 版)

南満洲鉄道」の記事における「政党政治と満鉄」の解説

明治から大正にかけて、藩閥政治時代から政党政治時代おとずれると満鉄内部にも大きな変化もたらされた。1913年大正2年12月第2代総裁中村是公副総裁国沢新兵衛更迭された。後藤新平中村是公後援してきた長州閥から立憲政友会系の政治家へと時代流れ変化してきたのである中村国沢更迭大正政変第3次桂内閣倒れて山本権兵衛内閣成立した直後のことであり、これは政友会総裁山本内閣内務大臣原敬差し金であったといわれる。そして、総裁政友会鉄道官僚鉄道院副総裁だった野村龍太郎が、副総裁には政友会幹部だった伊藤大八就任した伊藤大八中心となって理事交代強力に推し進められ、犬塚信太郎を除くすべて理事政友会系に代えられた。こうした動き草創期より後藤らと苦楽を共にしてきた社員からは、満鉄幹部ポスト政党利権対象になったかのように映り両者はしばし激しく対立した折しも、この時期鉄道院朝鮮鉄道満鉄3社によって設定された「三線連絡特別運賃」は満鉄衰亡招きかねないのだったので、事態はいっそう紛糾した野村伊藤動き危機感をもった満鉄調査課村田懋麿や大連駅駅務助手竹中政一らが特別運賃反対運動先頭に立ち、犬塚説得して世論訴えたその結果特別運賃事実上撤回された。伊藤副総裁それまで行なわれていた理事合議制廃止し総裁権限強化提案したが、これに創立以来理事であった犬塚強硬に抵抗し伊藤対す排斥運動起こったその結果1914年7月犬塚第2次大隈内閣によって罷免され翌日野村伊藤両名罷免された。

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政党政治と満鉄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 22:17 UTC 版)

南満州鉄道」の記事における「政党政治と満鉄」の解説

明治から大正にかけて、藩閥政治時代から政党政治時代おとずれると満鉄内部にも大きな変化もたらされた。1913年大正2年12月第2代総裁中村是公副総裁国沢新兵衛更迭された。後藤新平中村是公後援してきた長州閥から立憲政友会系の政治家へと時代流れ変化してきたのである中村国沢更迭大正政変第3次桂内閣倒れて山本権兵衛内閣成立した直後のことであり、これは政友会総裁山本内閣内務大臣原敬差し金であったといわれる。そして、総裁政友会鉄道官僚鉄道院副総裁だった野村龍太郎が、副総裁には政友会幹部だった伊藤大八就任した伊藤大八中心となって理事交代強力に推し進められ、犬塚信太郎を除くすべて理事政友会系に代えられた。こうした動き草創期より後藤らと苦楽を共にしてきた社員からは、満鉄幹部ポスト政党利権対象になったかのように映り両者はしばし激しく対立した折しも、この時期鉄道院朝鮮鉄道満鉄3社によって設定された「三線連絡特別運賃」は満鉄衰亡招きかねないのだったので、事態はいっそう紛糾した野村伊藤動き危機感をもった満鉄調査課村田懋麿や大連駅駅務助手竹中政一らが特別運賃反対運動先頭に立ち、犬塚説得して世論訴えたその結果特別運賃事実上撤回された。伊藤副総裁それまで行なわれていた理事合議制廃止し総裁権限強化提案したが、これに創立以来理事であった犬塚強硬に抵抗し伊藤対す排斥運動起こったその結果1914年7月犬塚第2次大隈内閣によって罷免され翌日野村伊藤両名罷免された。

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政党政治と満鉄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 14:42 UTC 版)

南満州鉄道の歴史」の記事における「政党政治と満鉄」の解説

明治から大正にかけて、藩閥政治時代から政党政治時代おとずれると満鉄内部にも大きな変化もたらされた。1913年大正2年12月第2代総裁中村是公副総裁国沢新兵衛更迭された。後藤新平中村是公後援してきた長州閥から立憲政友会系の政治家へと時代流れ変化してきたのである中村国沢更迭大正政変第3次桂内閣倒れて山本権兵衛内閣成立した直後のことであり、これは政友会総裁山本内閣内務大臣原敬差し金であったといわれる。そして、総裁政友会鉄道官僚鉄道院副総裁だった野村龍太郎が、副総裁には政友会幹部だった伊藤大八就任した伊藤大八中心となって理事交代強力に推し進められ、犬塚信太郎を除くすべて理事政友会系に代えられた。こうした動き草創期より後藤らと苦楽を共にしてきた社員からは、満鉄幹部ポスト政党利権対象になったかのように映り両者はしばし激しく対立した折しも、この時期鉄道院朝鮮鉄道満鉄3社によって設定された「三線連絡特別運賃」は満鉄衰亡招きかねないのだったので、事態はいっそう紛糾した野村伊藤動き危機感をもった満鉄調査課村田懋麿や大連駅駅務助手竹中政一らが特別運賃反対運動先頭に立ち、犬塚説得して世論訴えたその結果特別運賃事実上撤回された。伊藤副総裁それまで行なわれていた理事合議制廃止し総裁権限強化提案したが、これに創立以来理事であった犬塚強硬に抵抗し伊藤対す排斥運動起こったその結果1914年7月犬塚第2次大隈内閣によって罷免され翌日野村伊藤両名罷免された。

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