政党政治と民主主義の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 08:49 UTC 版)
「チャールズ・ワトソン=ウェントワース (第2代ロッキンガム侯)」の記事における「政党政治と民主主義の発展」の解説
これ以降ロッキンガム派はこれまでの半与党的野党の立場ではなく、明確に野党の立場に立つようになった。また野党系「独立派」議員も多数ロッキンガム派に合流し始めた。これによってホイッグ党ロッキンガム派は強力な団結力を持つ巨大野党と化していった。ウォルポール以来の「ホイッグの優越」時代は新しい局面に入り、優越的地位にあるホイッグ党内で与野党に分かれて対立・論争が行われるようになった。これが与野党対立の現代的な政党政治の幕開けであった。 ロッキンガム侯爵の側近である理論家エドマンド・バークの主導のもとロッキンガム派は「国王が『国王の友』と呼ばれる議員を用いて議会に不当な影響力を及ぼそうとしている。これを防ぐためには我々は政党として団結するしかない」という独自の政治理論を立てて政党としての団結力を高めていった。 一方、議会外のウィルクス支援運動は金権政治の温床となっていた腐敗選挙区(中世以来の都市選挙区で人口減少により選挙区の体をなさなくなった選挙区。選挙区民の人数が少ないので買収しやすい)の削減など議会改革運動に発展していた。ロッキンガム侯爵自身は大貴族なので議会改革には慎重だったものの、反政府という共通の立場からロッキンガム派はウィルクス運動とも連携をとるようになった。
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