挿話、人柄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 07:06 UTC 版)
「マウリツィオ・ポリーニ」の記事における「挿話、人柄」の解説
インタビュアーの質問に対しても即答せず、間を置いて、よく考えてから話す特徴がある。 NHK教育テレビの番組『ステージドア』(1998年放送)の中で、ポピュラーミュージックに対して、「イマジネーションが貧弱だと思います。クラシックの方が聞いていて面白いのに、どうして若い人たちは好きでないのでしょうかね」と淡々とした口調で厳しい発言をしている。 同じく同番組で、小さい頃はあまりピアノの練習をしなかったと語っている。その理由として、「ある弾き方で弾くのは割と簡単だったから」と述べ、「20代より30代、40代の方が多く練習した」と、年齢を重ねるごとにスケジュールが多忙になり練習時間を増やしていったことを振り返っている。 同郷(同じミラノ生まれ)の指揮者クラウディオ・アバドとは親友であり、芸術上のパートナーであり(数々の協奏曲で多くの共演を行っている)、政治的・社会的活動においても志を同じくし、イタリア共産党員であった作曲家ノーノとも深い親交があった。 日本文化への関心が高い。京都、奈良には何度も通い、神社やお寺などに行っている。紫式部の源氏物語のファンであり、黒澤明の映画、武満徹の音楽も好む。 共演はなかったものの、木之下晃によるカルロス・クライバー追悼写真集にクライバーとのツーショットが掲載されている。 小柄な体に反して、指がとても大きく、ピアノの“ド”の鍵盤から一オクターブと五度上の“ソ”(約26cm)まで届く。そのため、ピアニストが弾くのに苦労するベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第3楽章に出てくる重音グリッサンドを易々と弾くことが出来る。 著名なピアニスト、ミケランジェリ、ブレンデルと同じ1月5日生まれ。3人は11年ずつ年が離れている(ミケランジェリは1920年、ブレンデルは1931年、ポリーニは1942年生まれ)。
※この「挿話、人柄」の解説は、「マウリツィオ・ポリーニ」の解説の一部です。
「挿話、人柄」を含む「マウリツィオ・ポリーニ」の記事については、「マウリツィオ・ポリーニ」の概要を参照ください。
- 挿話、人柄のページへのリンク