拡大と選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 10:03 UTC 版)
1960年代には初の拡大を実行しようとする動きがあった。1960年5月3日、デンマーク、アイルランド、ノルウェー、そしてイギリスは3共同体への加盟を希望する旨を伝えた。ところがフランス大統領シャルル・ド・ゴールはイギリスの加盟をアメリカ合衆国の影響力を及ぼすためのトロイアの木馬と考え、加盟に対して反対し、これら4か国の加盟手続は停滞することとなった。 1969年6月20日、ド・ゴールの辞任後、ジョルジュ・ポンピドゥーがフランス大統領に就任したことを受けてこれら4か国は再び加盟を申請した。イギリスは1970年に親ヨーロッパ的なエドワード・ヒース政権のもとで加盟協議を開始したが、共通農業政策に対する意見の相違やコモンウェルスとの関係について対処することを迫られた。しかしながら2年後には加盟条約が調印され、国民投票で批准が拒否されたノルウェーを除く3か国が共同体に加わった。 欧州経済共同体設立条約では欧州議会について直接選挙の実施を義務づけていたが、これにはまず閣僚理事会における共通の選挙制度について合意を必要としていた。理事会ではこの問題が先送りされており、議会の議員は各国政府による任命制がとられていた。またド・ゴールは議会の機能拡大に反対的であり、辞任後も議会に与えられたのは財政に関する権限だけであった。 議会は選挙についての同意を迫り、そして1976年9月20日に理事会は選挙に必要な法令について合意したが選挙制度の詳細については保留された。ジェンキンス委員会の任期中である1979年6月に全議員を選出する欧州議会議員選挙が実施された。新たな議会は直接選挙と権限の拡大により、議員はその職に専念することができるようになった。 選挙後まもなく、議会は欧州旗を共同体の旗として採択するよう提唱した。欧州理事会はこの提案に賛成し、1984年にヨーロッパのシンボルを共同体においてもシンボルとして使用することを決めた。
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