抗日戦線
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1937年(民国26年)、盧溝橋事件により日中戦争が勃発すると、7月末には北平市、天津市、8月27日に察哈爾省省会の万全県が日本軍に占領された。この事態に9月17日、毛沢東は朱徳、彭徳懐、任弼時に対し華北地区への軍事行動を指示、第115師団が作戦行動を起こし山西省北部の五台地区に展開した。そうした中、10月10日には日本軍により石門県が占領されたことを受け、同月23日、第115師団の主力部隊は娘子関支援のため、副師長兼政務委員の聶栄臻が独立部隊を率いて遊撃戦を展開、淶源県、広霊県、繁峙県、霊丘県、蔚県、曲陽県、完県、唐県を奪回、雁北遊撃区及び察南遊撃区、冀西遊撃区を設置した。この戦果により11月7日、八路軍総司令官であった朱徳により晋察冀軍区の成立が宣言され、聶栄臻が軍区司令に就任した。12月5日、晋察冀辺区軍政民代表処籌備処が河北省阜平県で成立し、辺区政府の設立準備に着手した。
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