初期独立運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/29 06:30 UTC 版)
「柳林 (大韓民国の人物)」の記事における「初期独立運動」の解説
1919年に三・一運動が起きると安東臨東面市場で万歳デモを主導し、以後満洲に渡って南満洲独立軍団体である西路軍政署に加わって抗日独立運動をした。'忠君愛国'を誓った時は忠誠の対象が君主であったが、後に民主主義にも一理あると無政府主義者となった。 1927年から1929年まで満洲吉林省で池青天・金応燮・呂準・李鐸・金東三などと韓族労動党、正義部、在満韓人教育会などを結成して抗日運動団体で活動した。この時満洲にある各独立運動勢力の統合に努力し、中国人遊撃部隊と合作して韓中共同抗日戦線を作って独立運動の強化に心血を注いだ。一方では教育目的に教科書編纂、教員養成などの活動にも加わった。 この時中学生であった北朝鮮の金日成が尋ねて来て挨拶した時には、才能はあるように見えるが、信頼できないと言った。1929年に平壌で朝鮮共産無政府主義者連盟を結成して活動した。
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