戴季陶の対日観
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戴季陶は「最近之日本政局及其対華政策」(1917-18年)、「張継何天炯戴伝賢告日本国民書」(1919年)、「我的日本観」(1919年)などでその日本への関心を示している。とりわけ、『日本論』(1928年4月)は、近代中国人が著した最も有名な対日観の一作品と見なされている。 戴季陶は『日本論』のなかで、イギリスのアジア政策、ソ連の中国政策、日本の山東出兵(1927年5月-6月)、中国政府の支配力欠如と中国国民の政治能力欠如が「東方の将来の世界大戦」を招来することを警戒し、中国の自強には統一した国民精神の形成が必要である、と論じた。そして、明治維新以来急速に軍国化していく日本の現状を分析し、日本民族の特性であった倫理性、武士道に現れた「尚武」精神が、1927年の訪日時には荒廃していたと嘆いた。さらに、中国国民は三民主義を信奉して国民精神を形成し、革命を成就させ自強に努め、日本の中国における勢力に抵抗することと、中国の国家は民族主義を発揮して日本のような軍国主義に向かうのを回避し、強国となった暁には東方道徳の王道の道統となることを展望した。 ただし、戴季陶は『日本論』執筆の以前も以後も、日本に関する評論を多数著している。よって、戴季陶の対日観を『日本論』に集約させる考え方は不適当である。
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