戦後:1970年代前半まで
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「村方千之」の記事における「戦後:1970年代前半まで」の解説
1946年 福岡県中間市の室内管弦楽団のメンバーとなる。一方でヴァイオリンのリサイタルも行う。 1949年 東京藝術大学楽理科に所属する第1期生の一人として入学する。専攻は音楽史と和声理論。金子登、渡邉暁雄の下で指揮を学ぶ。 1952年 クルト・ヴェスの下で指揮の技術を学ぶ。 1955年 藝大を卒業する。東京アンサンブル・アカデミー・オーケストラを山本直純らと設立する。若者に向けて音楽文化を広めることを目的として、様々な都市でコンサートを行う。また、齋藤秀雄の音楽教室に入り、自身のレパートリーをさらに増やすとともに、よりプロフェッショナルな問題を学んでいく。さらに、齋藤率いる桐朋学園オーケストラで齋藤のアシスタントを務める。 30歳後半から5年の間、母校である自由学園オーケストラの指揮者として活躍する。 1955年 立教大学交響楽団の指揮者に就任。以後5年間、このオーケストラの技術を向上させる。 1960年 若者の音楽教育に強く興味を持ち、アマチュアオーケストラや吹奏楽や合唱団体の育成に力を注ぎ始める。この時期また、ラジオ放送の音楽教育番組でも指揮者として活動する。 1970年 東京音楽大学で教鞭をとり、三枝成彰などと共に活動し、定期コンサートを指揮する。 1971年 福井交響楽団に常任指揮者として招かれ、5年にわたって地方における音楽文化の活性化に力を注ぐ。
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