息子ヘンリーを国王にするために
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/17 06:08 UTC 版)
「マーガレット・ボーフォート」の記事における「息子ヘンリーを国王にするために」の解説
1471年にスタッフォード卿が亡くなった後、マーガレットは1473年から1482年の間にトマス・スタンリー卿と4度目の結婚をしている。トマス・スタンリーはその時々の権力者にうまく追従する傾向があったようで、この時もヨーク派に属している。ランカスター派のマーガレットとヨーク派のトマスとの結婚は政略結婚だったといわれている。この間、マーガレットは大陸で亡命生活を起こっているヘンリーの身を案じ、ヨーク派のブルターニュに対するヘンリーの引き渡し要求を彼に報せて逃亡に手を貸す一方、エドワード4世に取り入りヘンリーのイングランド帰国に尽力している。 マーガレットはエドワード4世の弟リチャード3世の宮廷に入り、夫トマスと共に1483年7月のリチャード3世の戴冠式に出席している。しかし、従甥で3番目の夫の甥でもあるバッキンガム公ヘンリー・スタッフォードの陰謀に加わりリチャード3世打倒とヘンリーの即位を企て、露見してバッキンガム公が11月に処刑されると立場が危うくなった。トマスの取り成しで辛うじて命拾いしたが、リチャード3世に息子エドワード5世を殺された前王妃のエリザベス・ウッドヴィルと密かに結び、その娘でエドワード5世の姉エリザベス・オブ・ヨークと息子ヘンリーを婚約させた。これが後にヘンリーの王位継承権を強化することになった。 1485年8月22日、ヘンリーがリチャード3世と雌雄を決したボズワースの戦いでは、トマスはリチャード3世の側についている(ただし布陣はしたが参戦はしなかったため、実質的には中立)。リチャード3世はトマスが継子に味方するのを恐れてトマスの長男ジョージを人質に取っていたため、うかつに動けなくなっていたのだった。結局トマスが寝返ってヘンリーに加勢するのは、大勢がヘンリーに傾きかけたタイミングであった。だが、戦闘が終わった戦場からリチャード3世のかぶっていた王冠を見つけ出し、ヘンリーの頭にかぶせたのはトマスだった。 10月に挙行されたヘンリー7世の戴冠式にマーガレットはトマスと共に出席、トマスはダービー伯爵に叙せられ、マーガレットもダービー伯爵夫人となったが、マーガレットは「リッチモンドとダービーの伯爵夫人」と自称したという。翌1486年にヘンリー7世とエリザベス・オブ・ヨークの結婚式も執り行い、同年に嫡孫アーサーが生まれテューダー朝の正統性も確保された。こうしてヘンリーはイングランド王ヘンリー7世として即位したが、マーガレットは「王妃」(Queen Consort)になったことがないため、王太后(Queen Mother)の称号は得られなかった代わりに「王母夫人」(My Lady the King's Mother)と呼ばれた。
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