息子ゲルマヌスの消息
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 09:13 UTC 版)
夫ゲルマヌスは550年末もしくは551年初頭に死去しており、息子ゲルマヌスが生まれたのはその後だった。息子ゲルマヌスのその後について確かなことは分かっていないが、マウリキウス帝時代に活躍した「パトリキウス」ゲルマヌスと同一人物である可能性が指摘されている。彼は元老院の有力な指導者で、娘(長女)を皇帝の長男テオドシウスに嫁がせるほどの力を持った。「パトリキウス」ゲルマヌスはマウリキウスを裏切って反乱者にして皇位簒奪者フォカスに内通、後にそのフォカスに対しても裏切り行為を働いたが、長女と共に処刑された。一方、歴史家のMichael Whitbyは、マタスンタの息子ゲルマヌスはティベリウス2世とアエリア・アナスタシアの娘婿である副帝ゲルマヌスと同一人物であるとしている。
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