息子ポールの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 06:09 UTC 版)
「バーバラ・ヘップワース」の記事における「息子ポールの死」の解説
1953年2月13日、イギリス空軍の軍人であった長男のポールが飛行機事故のためタイ王国で死亡した。ポールを記念するための作品「聖母子」(Madonna and Child)がセント・アイヴズ教区協会にたてられた。 息子の死で追い詰められていたこともあり、ヘップワースは1954年8月に親友のマーガレット・ガーディナーとギリシャに旅立った。アテネ、デルフィ、エーゲ海諸島の多数の島々を巡った。 同月にヘップワースがギリシャからセント・アイヴズに戻ってきた時、ガーディナーが大量のナイジェリアグアレアの硬材を送っていたことがわかった。ヘップワースは幹を一本受け取っていただけだったが、ナイジェリアからティルベリーの港まで発送した木材が17トンにもなることに気付いた。1954年から1956年にかけて、ヘップワースはグアレアの木から6つの彫刻を彫り、その多くが「コリントス」("Corinthos", 1954)や「曲面(デルフィ)」("Curved Form (Delphi)", 1955)のようにギリシャ旅行からヒントを得たものであった。
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