忍路丸とは? わかりやすく解説

忍路丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 21:07 UTC 版)

おしょろ丸」の記事における「忍路丸」の解説

忍路丸は1907年明治40年4月開設され札幌農学校水産学科初代練習船として、三重県大湊町市川造船所建造され木造帆船である。工費14,473円。船名遠藤吉三郎教授発案で、佐藤昌介学長によって命名された。 2本マストフォアマスト横帆を持つトップスルスクーナーとして建造されたが、翌年にはブリガンティン改装され1913年大正2年3月にはスウェーデンボリンダー=ムンクテル社製の補助機関63馬力)を増設した。1909年明治42年2月竣工当初忍路臨海実習所が設置され小樽市忍路湾に錨泊していたが、後に定繋港小樽港移している。なお、忍路丸が就役した1909年明治42年2月時点では東北帝国大学農科大学水産学科改称されている。 1926年大正15年10月までの17年間で26次にわたって日本近海およびオホーツク海練習航海実施、総航程92,600kmを航海し200名が乗船した退役後は少年団日本連盟練習船義勇和爾丸(ぎゆうわにまる)となり、1934年昭和9年)には東南アジア方面への遠洋航海行っている。1938年昭和13年3月三重県大王崎座礁修理後海運会社所有となり、貨物船海勢丸として運航されていたが、1944年昭和19年)に空襲により炎上した

※この「忍路丸」の解説は、「おしょろ丸」の解説の一部です。
「忍路丸」を含む「おしょろ丸」の記事については、「おしょろ丸」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「忍路丸」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から忍路丸を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から忍路丸を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から忍路丸 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「忍路丸」の関連用語

忍路丸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



忍路丸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのおしょろ丸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS