徳一関連年表とは? わかりやすく解説

徳一関連年表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:48 UTC 版)

徳一」の記事における「徳一関連年表」の解説

年徳一関事項周辺事項天平勝宝元年749年徳一出生(『南都高僧伝』の死亡記事より逆算)。 天平勝宝4年752年藤原刷雄入唐天平宝字8年764年恵美押勝藤原仲麻呂)の乱、鎮圧延暦3年783年) これ以前に「弱冠にして都(=平城京?)を去る」か?(田村晃祐1979185頁) 長岡京遷都大同元年806年奥州会津山に清水寺慧日寺)を建立私聚百因縁集巻7)。 磐梯山噴火大同2年807年徳一関係する寺院多くが、この年開創とする。 弘仁4年813年最澄『依憑天台集』なる。 弘仁5年814年正月最澄嵯峨天皇要請により南都の僧と論争弘仁6年815年この頃、『真言宗未決文』なるか?(富貴原章1944232頁) 4月1日空海弟子康守を東国の広智、徳一派遣し写経依頼する弘仁8年817年) これ以前に『仏性抄』を撰述か。 最澄東国へ。3月下野大慈寺円仁、徳円に菩薩戒授ける。5月上野緑野寺で円澄と広智に伝法灌頂授ける。最澄照権実鏡』(『仏性抄』への批判書)なる。 弘仁9年818年) これ以前、『中辺義鏡』を撰述か。 最澄守護国界章』(『中辺義鏡』への反論書)なる。 弘仁11年820年) これ以前、『慧日羽足』『遮異見章』なるか。 この頃最澄『通六九証破比量文』『決権実論』なるか。 弘仁12年821年最澄法華秀句三巻なる。 弘仁13年822年最澄没。 天長元年824年7月27日恵日寺より常陸国下着す。76歳。(『南都高僧伝』)

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