後継ぎと転封とは? わかりやすく解説

後継ぎと転封

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 17:27 UTC 版)

小笠原長旌」の記事における「後継ぎと転封」の解説

これ以降長らく長旌に男子生まれず、病で在広島勤め出来なかったため、長旌の娘と長旌の弟・元の子である長親とを婚姻させ、小笠原氏後継とし、元その後見とした。その際に、これ以後に長旌に実子生まれた場合その実子を後継とすると定めており、天正19年1591年)に長旌に実子である千代童丸生まれると、千代童丸後継となった。しかし、千代童丸翌年早世したため、再び長親を後継、元後見として家政宰領させることとなる。 長旌時代小笠原氏領は、河本三原中心に江の川北岸広がり邑智・迩摩・安濃・那賀の四郡に渡って、約1万7,000石に及んでいたが、天正20年1592年)に毛利輝元より、出雲国神門郡西へ転封され、石見国離れることとなる。この際小笠原氏出雲について行きたい願い出た多く家臣石見残し主だった親族さしあたり必要な家臣伴って西へ移ったため、残され小笠原氏一族家臣等多く帰農することとなった。 「丸山伝記」や、神西の大就寺にある碑文によれば文禄4年1595年)に、「孫左文書によれば慶長8年1603年)に長旌は死去したとされる

※この「後継ぎと転封」の解説は、「小笠原長旌」の解説の一部です。
「後継ぎと転封」を含む「小笠原長旌」の記事については、「小笠原長旌」の概要を参照ください。

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