後渤海
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後渤海(ごぼっかい)は、歴史研究の成果として928年から976年頃にかけて存在したと想定された王朝。建国を明確に裏付ける文献が存在しないことが実証されつつあり、また1990年代以降に発見された耶律羽之墓誌などの石刻史料など考証の結果、後渤海の実在は否定される傾向にある。
- ^ 日野 1943, p. 520.
- ^ a b 日野 1943, p. 475.
- ^ 愛新覚羅烏拉熙春 (2008年12月). “Original meaning of Dan gur in Khitai scripts: with a discussion of state name of the Dong Dan Guo” (PDF). 立命館文學 (609) (立命館大学人文学会): p. 1-2. オリジナルの2016年10月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c 愛新覚羅烏拉熙春 (2008年12月). “Original meaning of Dan gur in Khitai scripts: with a discussion of state name of the Dong Dan Guo” (PDF). 立命館文學 (609) (立命館大学人文学会): p. 11-13. オリジナルの2016年10月19日時点におけるアーカイブ。
- 1 後渤海とは
- 2 後渤海の概要
- 3 高麗人の後渤海認識
- 4 参考文献
- 後渤海のページへのリンク