律令制以前の律と令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 01:57 UTC 版)
中国最古の辞書である『爾雅』は、律を常・法、令を告とする。律は恒常的な法律で、令は君主がその都度下す命令である。律は法律と同義で、法律を二分野にまとめる思想はなかった。中国では刑法にあたる部分が先に発展し、春秋戦国時代には各国で盛んに刑律が作られた。律は戦国時代に法家によって整備され、商鞅のもとで秦の国制の根幹をなした。この律は刑罰を重視してはいるが、民政に関するものも含んだ。それに対し、令は単行法として雑多にわたるもので、後代の律令制度でいうと格にあたるものだった。 律と令の関係が変化し、刑法と民政関係諸法という分野の違いに変わる転機は、漢代にあった。漢は初め秦の律を継受し改正を重ねたが、漢の武帝が儒教を国教にすると、刑罰でなく教化を主眼とする法体系が構想されるようになった。それが新たな意味を盛られた令である。律を刑罰、令を教化の二本柱にする考えは、『塩鉄論』に言及があり、以後漢代を通じて様々な機会に表明された。しかしこの思想によってただちに法体系が変更されたわけではなく、律令二元化は改正の機会に織り込まれる形で徐々に進んでいった。たとえば、秦漢では駅伝に関する法を厩律にまとめていたが、魏の代になって郵駅令に改めた。秦代に盛んに用いられていた馬車が衰えて車に関する条文が不要になったことを受け、騎乗のみの条文に改正したとき、令に改称したのである。 あるいはまた、秦・漢においては、令=詔(『史記』秦始皇本紀)であり、“令”は皇帝の命令(詔)を指し、“律”は個々の詔(令)の文中に盛り込まれた規範的部分のみを指したとする説もある。
※この「律令制以前の律と令」の解説は、「律令」の解説の一部です。
「律令制以前の律と令」を含む「律令」の記事については、「律令」の概要を参照ください。
- 律令制以前の律と令のページへのリンク