形態主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:10 UTC 版)
例えば、「値段」の意の朝鮮語は、前後の音環境により /kap/(単独形)、/kapsʼ/(/kapsʼi/ ‘値段が’において)、/kam/(/kamman/ ‘値段だけ’において)、/kʼap/(/ʨʰɛkkʼap/ ‘本代’において)、/kʼapsʼ/(/ʨʰɛkkʼapsʼi/ ‘本代が’において)、/kʼam/(/ʨʰɛkkʼamman/ ‘本代だけ’において)など、さまざまな異形態で現れうる。これら異形態は形態音素論的な交替形であるが、そこから「/kaps/」という語形を抽象し、それをハングル「값」として表記している。同様に、「読む」の意の朝鮮語の動詞語幹は、/ik/(/ikʨʼi/ ‘読むよ’において)、/il/(/ilkʼo/ ‘読んで’において)、/iŋ/(/iŋnɯnta/ ‘読む’において)、/nik/(/annikʨʼi/ ‘読まないよ’において)、/nil/(/annilkʼo/ ‘読まずに’において)、/niŋ/(/anniŋnɯnta/ ‘読まない’において)などの異形態で現れうるが、ここから「/ilk/」という語形を形態音素論的に抽象し、それをハングル「읽-」として表記している。これが形態主義的な表記法である。 この方法により、個々の形態素が明示されることとなる。例えば、「踏んだなら」を表す朝鮮語 /palpasʼɯmjɔn/ は /palp/(語根)、/asʼ/(過去接尾辞)、/ɯ/(連結母音)、/mjɔn/(語尾)から成るが、現代の正書法では個々の形態素を明示して「밟았으면」と書かれる(古い表記法では「발밧스면」などのように書かれた)。形態素の明示は合成語などにも適用され、例えば굶다(飢える)と주리다(飢える)の合成語は、[굼주리다]と発音されるにも関わらずそれぞれの形態を明示して「굶주리다」と表記される。それと同時にこの表記法は、実際に発音されない子音が表記されることがあったり(例えば、값 ‘値段’の実際の発音は[갑])、濃音化・鼻音化などの音素交替が起きる場合でも本来の形態を維持して表記したりする(例えば、독립 ‘独立’の実際の発音は[동닙])など、綴り字と実際の発音が異なることもしばしばありうる。 しかしながら、一部には形態素が明示されない場合もある。その主な例は、語源意識が希薄になったり、あるいは本義を失うなどして、現代朝鮮語の観点から明確な形態素として抽出できないとされる場合である。슬프다(悲しい)はもともと動詞슳다(悲しむ)に形容詞を作る接尾辞-브-が付いてできた単語であるが、슳다も브も現代朝鮮語の観点から1つの形態素として機能していないと考えるので、「슳브다」のようには綴らない。また、끄트머리(端っこ)は끝(終わり)に接尾辞-으머리が付いた単語であるが、-으머리という形態を現代朝鮮語として体系的に抽出することができないとして、끝으머리のように綴らない。 具体的にいかなる場合に形態素を明示し、又はしないで表記するかは、正書法において細かく規定されている。
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