弟子関係を中心とした年譜
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「仁科芳雄」の記事における「弟子関係を中心とした年譜」の解説
年事柄23~28 ボーアの指導でコペンハーゲン精神を体現し、 「クライン・仁科公式」を定式化した。 31 理研に独立の研究室をつくり、実験と理論の両面を推進した。 京都大学へ出張講演する その直後に朝永を理研へと招碑する手紙をだした。迷う朝永に仁科は、「それではためしに二、三ヵ月(理研に)来てごらん。」 「理化学研究所で驚いたことは、その全く自由な空気である。先生たちも若いのも、お互 いに全然遠慮なく討論するそのありさまである。セミナールはこの遠慮のない、血のめぐ りのはやい連中の全く形式も礼儀も無視した討論で、生き生きと進んでいく。」 32 朝永が理研に来るが、この32年の春に中性子、秋に陽電子が発見された。 33 坂田 が理研にくる。 34 玉木 朝永・坂田は仁科の研究スタイルである自由な討論を実行し、多くの研究者を羽ばたかせた。 34(夏) 小林、玉木の3人でディラックの名著『量子力学』第二版の翻訳をやっている。 35 湯川: 陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子の存在をに理論的に予言した 37 ボーアが理研にきている。ボーアは強い力の理論化で、未発見の粒子である中間子を仮定する事に否定的であった。 ? 小さい加速器(サイクロトロン)が完成 出典 論文:朝永振一郎著作集を読む等 第6巻 なお月のクレーター "Nishina" は彼にちなんで名づけられた。Nishina の直径は約65kmで、緯度44.6S、経度170.4Wに位置する。また理化学研究所が3回の生成に成功したと発表した113番元素について、命名権が得られた場合の案として仁科にちなんだ「ニシナニウム」などが検討された。
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