延岡電気所創業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:47 UTC 版)
1907年(明治40年)8月、宮崎県最初の電気供給事業として宮崎市に日向水力電気が開業した。電源は清武川の黒北発電所であるが、これが県下で最初の発電所というわけではなく、すでに県北部に鉱山用の自家用水力発電所が存在していた。その最初のものは三菱鉱業が建設した五ヶ瀬川水系網の瀬川の小発電所(出力96キロワット)である。この発電所は西臼杵郡七折村(現・日之影町)にあった槙峰鉱山(銅山)の自家用発電所として建設された。ここでは明治中盤から水車や蒸気機関による動力を採掘・製錬作業に取り入れ機械化が進んでいた。 網の瀬川の西にある槙峰鉱山に対し、川の東、東臼杵郡北方村(現・延岡市)にあったのが同じく銅山の日平鉱山である。ここは三菱ではなく旧延岡藩主の内藤政挙が経営していた。日平鉱山も槙峰と同様に明治中盤から水車・蒸気機関を取り入れ、1900年(明治33年)には三菱に続いて自家用水力発電所を新設して電化に着手した。内藤家が建設したのは菅原(すげはる)発電所(出力150キロワット・1900年2月運転開始)と片内発電所(出力400キロワット・1907年10月運転開始)で、宮崎県内で2番目と3番目の発電所となった。 鉱山の電化が進む一方、延岡の町ではなお照明はランプや提灯の時代であった。このため延岡と恒富村・岡富村の有志は話し合いをもち、発電所を持つ内藤に対して延岡に電灯を引くよう要望した。内藤は町の近代化と火災防止などの点から電灯供給に踏み切り、市街の南町に「延岡電気所」を開設。城山の西に変電所を建設して菅原発電所から送電線を架設し、1910年(明治43年)1月より電灯供給を開始した。これにより延岡の町に初めて電灯が点灯した。 その後1913年(大正2年)5月に富高(現・日向市)、翌1914年(大正3年)7月には都農・高鍋にも変電所が新設され、延岡電気所の事業は県北部一帯に拡大していった。
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