廃止への経緯とは? わかりやすく解説

廃止への経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 09:50 UTC 版)

全国都道府県選抜競輪」の記事における「廃止への経緯」の解説

大会1969年廃止されるが、直接の原因となったのは、前年第26回大会中止であった第26回大会は、1969年8月29日から、甲子園競輪場開催されることが決定していた。ところが大会開幕近づくにつれて周辺住民開催反対運動激化し大会10日前に中止の決定なされた反対運動背景には、19年前の鳴尾事件後遺症が拭えていない事に加え競輪人気過熱化露呈した警備上の問題があった。1960年第16回全国争覇競輪後楽園競輪場)、1965年第10回オールスター競輪川崎競輪場)において観客バンク内になだれ込む事態生じ後楽園川崎両場は特別競輪開催自粛。それがもとになって開催場固定されていた高松宮賜杯大津びわこ競輪場)、競輪祭小倉競輪場)、秩父宮妃賜杯競輪西武園競輪場以外の特別競輪については、開催引き受け施行者はなかなか現れず、開催場決定難航していた。 第26回大会中止事件とは別の問題もあった。全国争覇競輪1964年第17回大会から名称を「日本選手権競輪」へと改めるが、全国争覇競輪時代にあった実用車軽快車部門廃止されていた。この結果、距離別種目縮小していった都道府県選抜競輪日本選手権競輪とは似たような開催運営方式となっていき、都道府県選抜競輪存在意義疑問視されていた。 従って、第26回大会中止がいい契機考えられたのか、翌年第27回大会引き受け施行者現れず、そのまま廃止となってしまった。 甲子園競輪場は、第26回都道府県選抜中止余波以後も受け続け1968年まで毎年開催されていた開設記念競輪甲子園ゴールデン杯」の開催まで中止追い込まれた。甲子園競輪場開設記念再開されたのは1985年であり、特別競輪開催実現したのは1999年第42回オールスターであった。だがその3年後の2002年3月甲子園競輪場西宮競輪場とともに閉場された。

※この「廃止への経緯」の解説は、「全国都道府県選抜競輪」の解説の一部です。
「廃止への経緯」を含む「全国都道府県選抜競輪」の記事については、「全国都道府県選抜競輪」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「廃止への経緯」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「廃止への経緯」の関連用語

廃止への経緯のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



廃止への経緯のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの全国都道府県選抜競輪 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS