広電譲渡後の改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 04:48 UTC 版)
「広島電鉄1900形電車」の記事における「広電譲渡後の改造」の解説
登場当初は中扉について各車で違いがあり、1901・1903 - 1905・1907 - 1910・1914については木製タテ棧2本、1906号については木製タテ棧なし、1902・1911 - 1913・1915号については軽金属製であった。2000年代に前扉・中扉ともアルミ製に交換された。 路面電車としてはかなり早い段階で冷房改造が行われた。最初に1980年の運転開始当初より1901・1913号は富士電機直流駆動方式(25,000kcal/h×1)で改造。構造は、バス用クーラーのコンプレッサーを直流600Vモーターで駆動する構造であった。翌年の1981年7月に1902 - 1904号の3両が、三菱電機のCU127分散型(10,500kcal/h×2)で改造。1982年に残りの全車が、三菱電機の直流交流変換駆動方式(三菱MDA方式)CU77A集中型(21,000kcal/h×1)で冷房改造された。その後、三菱MDA方式による冷房改造は標準的な物になっている。前述の1901・1913号はクーラーユニットが屋根上などに見当たらず、非冷房車との識別が外見上困難な特徴があった。しかし構造が特殊であることと冷房能力に問題があり、後日CU77形に換装された。ただし他のCU77形を搭載する車両は冷房補機を床下に置くが、1901・1913号に関しては冷房補機を屋根上に置く形に変更された。 2000年代には落雷事故を受けて避雷針が更新された。また砂撒き設備が車掌台の場所に設置された。 愛称板については2001年頃から掲出を止め、系統番号のプレートとその愛称板を掲出する台だけが残された時期があったが、2006年3月に愛称板を新調し復活。現在も使用されている。 また床材も木製板張りからリノリウムへの変更も行われている。 京都時代営業最終日の1900形1920号車 (1978年撮影)現在は1906号車になっている 1900形1908号車 (2008年撮影)写真右側側面の窓が開かない 1900形1903号車 (2008年撮影)分散型クーラー搭載車 1900形1903号車 (2003年撮影)七夕電車として走っていた時期もある 現在は京都色に戻されている 1900形1913号車 (2015年撮影)冷房補機を屋根上に置く
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