幕張地区の分社化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:55 UTC 版)
西側の幕張地区については、ローカルである幕張駅〜長作町は堅調であったが、本線格である幕張駅〜八千代台駅は乗客が少なかった。もともと大和田から国鉄駅に直通できることを目的として作られた路線であったが、路線新設後わずか8年で八千代台駅が開業し、大和田付近の交通は同駅と大和田駅を使えば大抵のことが済むようになった。八千代台〜実籾間については、京成が類するバス路線を運行しており独自性はあまりなかった。 これに加えて、1967年には京葉道路が開通し武石インターチェンジが設置されたことで、幕張〜武石〜実籾間の道路が渋滞するようになってきた。幕張〜長作町線は途中から別の道にエスケープするため定時性を維持しやすかったが、八千代台方面の本線はこれがかなわなかった。また、本線は1時間に1本程度の少ない運行頻度であったため、あまりにも著しい遅延になれば乗客離れにつながるものであった。しかし無ければ無いで困る区間でもあり、路線の維持は行われてきた。 平成になると、長作町〜(京葉道路)〜海浜幕張駅の開通を皮切りに、幕張駅入口〜海浜幕張駅、幕張駅入口〜ベイタウンと言ったベイエリアへの路線を開通していった。しかし、幕張駅入口ターミナルの立地条件があまりよくないために利用客は定着せず、数年のうちに減便または廃止になってしまった。 そのような中、バス路線の新設・改廃について規制が緩和され、各バス事業者は以前より容易に路線や運行区間の存廃を決められるようになった。このため、各事業者は路線の新設・改良について従来以上に推進する必要が生じ、また経営改善の意図もあって分社化を行うようになった。この流れを受け、東洋バスも2002年2月1日に子会社である千葉シーサイドバスを創設し、幕張地区の路線を同社に委譲したのである。 分社化により、東洋バスの路線のエリアはほとんどが八千代市内に集約されることとなった。一方、千葉シーサイドバスは当初こそ東洋バス時代と同じ運行をしていたが、幕張駅前の踏切が立体交差化したことをきっかけに海浜幕張駅への路線の直通を図り、新たな乗客の獲得を図ることとなった。
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