師団編制まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:42 UTC 版)
「第21SS武装山岳師団」の記事における「師団編制まで」の解説
バルカン半島は、世界の火薬庫と呼ばれ、20世紀には第一次世界大戦勃発の原因となり、冷戦終結後もユーゴスラビア紛争が生じたように、民族・宗教間の対立が激しい地域である。 アルバニア人は当時のアルバニア王国だけでなく、ユーゴスラビア王国内のコソヴォ地域にも住んでいた。しかし長年にわたりコソヴォ・アルバニア人は、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人等から二級市民として扱われていた。そのため、コソヴォ・アルバニア人はユーゴスラビア王国崩壊により自分たちがユーゴスラビアから分離独立し、アルバニアと合併することを待ち望むようになる。彼らにとって枢軸国のユーゴスラビア侵攻は大きなチャンスに見え、外国軍の侵攻をむしろ歓迎する側に回った。実際にはコソヴォを中心としたアルバニア人地域は、1941年からはイタリアの支配下、1943年のイタリア降伏後はナチス・ドイツによる占領を脱することはなかったが、この師団はアルバニア人地域の独立と統一アルバニア建設の約束と共に1944年3月編制された。 この師団は第二次世界大戦の間、アルバニア人が唯一入隊できた部隊であった。最初の編成時、アルバニアの徴募兵11398人のうち、条件を満たしているのが9275人。そのうち6491人が武装SSに採用され、これらの兵とSS第13山岳師団からの300人のアルバニア人、オーストリア、民族ドイツ人の士官、下士官から成る古参兵が基幹となり師団が形成された。 師団の最終的戦力は8500から9000人で、2個歩兵連隊、砲兵連隊、偵察大隊、山岳工兵大隊、通信大隊、対戦車大隊から構成されていた。
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