市営スタジアムでのヒトラーユーゲントの点呼
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「意志の勝利」の記事における「市営スタジアムでのヒトラーユーゲントの点呼」の解説
ヒトラーユーゲントが、市営スタジアムを埋め尽くしている。ユーゲントが演奏する Hitlerjugendmarsch (ヒトラーユーゲント行進曲) に迎えられて、ヒトラーと側近、党の幹部たちがスタジアムに入場する。演奏が Jugend marschiert (ユーゲントが行進する) に変わる。ゲッベルスやヘスらが場内を見渡して笑みを浮かべる。ヒトラーの傍らにユリウス・シャウブ、マルティン・ボルマン、ヴィルヘルム・ブリュックナーがいる。 青少年全国指導者のバルドゥール・フォン・シーラッハが、マイクの前に歩み出て演説する。聴衆の中にヴェルナー・フォン・ブロンベルクの姿が見える。 総統閣下、隊員諸君、我々は再びこの幸せな時間を過ごしています。我々に誇りを与え、喜びを与えてくれる時間です。あなたのご命令によって、青少年たちがここに集っています。階級も身分も知らない青少年たちです。我らの民族の若い世代は、あなたを規範にしています。あなたは、この国で最も私心のないかたなので、この青少年たちも私心のない人間に育つでしょう。あなたは我々に誠実さを体現してくださるので、我々も誠実でありたいのです。アドルフ・ヒトラー、ドイツの青少年の指導者がお話しになります。 ヒトラーが演説する。 わがドイツの青少年諸君、1年ぶりで私はここで、諸君に再び挨拶ができる。今日、このスタジアムにいる君たちは、ほんの一部にすぎない。ここの外のドイツ全土にいる若者たちの一部である。我々が望んでいるのは、君たちドイツの少年たち、ドイツの少女たちが、我々が将来のドイツに期待することのすべてを、自分の中に受け止めてくれることだ。我々には、国民の理想像がある。だから君たち青少年諸君は、そのような国民にならなくてはならない。我々は将来においては、もはや階級も身分制度も認めない。だから諸君は自分たちの中にそれらを育ててはならない。我々には将来の国家の理想像がある。だから諸君は必ず、それに合わせて自らを育てなくてはならない。我々は将来、国民が従順であるように望む。だから諸君は自らを従順であるように訓練しなくてはならない。我々は将来、国民が平和を愛し、その一方で勇敢であるように望む。だから諸君は、平和を好まなくてはならないし …… (歓声のために中断)…… 平和を好み、それと同時に勇敢でなくてはならない。我々は、将来国民が柔弱になることなく頑強であることを望む。だから諸君は、そのために青年期に自分を鍛えなくてはならない。諸君は学ばねばならない。くじけることなく、不自由さを受け入れることを。我々が今日、何を成し遂げ、何をもたらしても、我々は消え去っていく。しかしドイツは、諸君の中に生き続けるだろう。そして我々の中に、もはや残っている者がいなくなったとき、諸君は旗を掲げるのだ。かつて我々が、無の中から掲げた旗を。諸君は自らの手で、それを掲げ続けなくてはならない。私は知っている。それとは違うことになるはずがないことを。なぜなら、諸君の肉体は我々の肉体から生まれ、諸君の血は我々の血から造られたからだ。そして、諸君の若い頭脳には、我々を支配している精神と同じ精神が宿っているからである。諸君は我々と団結する以外にありようがない。私は知っている。我々の運動の長大な隊列が、今日ドイツ中で勝利の行進をするとき、諸君もその隊列に合流することを。そして我々は知っている。我々の前にドイツがあり、我々の中をドイツが行進し、そして我々の背後からドイツがやってくることを。 演説を終えたヒトラーが車に乗って退場する。観衆は歓声をあげ敬礼をしながらヒトラーを見送る。Unsere Fahne flattert uns voran (我らの旗は先頭ではためく) の歌声をバックに、場内の観衆をとらえたカメラが車に乗ってスタジアムを走行する。
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