川本らの起訴に際して検事正が異例の談話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 00:26 UTC 版)
「朝霞自衛官殺害事件」の記事における「川本らの起訴に際して検事正が異例の談話」の解説
1972年(昭和47年)1月31日、浦和地方検察庁は、川本とKを起訴した。起訴に際して、大島功検事正は次の異例の談話を発表した。 陸上自衛隊朝霞駐屯地内で発生した自衛官殺害事件に関連して発生した新聞、雑誌社の記者による今回の行為は、明らかに犯罪であって、到底許容されるものではない。 殊に、今般両記者が接触した相手は、動哨中の陸上自衛官を殺害した強盗殺人事件の重要犯人であって、この犯人から重要証拠品を受け取って焼却するとか、或いは、昼夜を問わず必死に捜査をしていた警察の捜査状況を犯人に教える等という、常識では到底考えられないような行為に出たことは、極めて遺憾である。 今回のように情報化が進んだ現代社会では、報道機関の責任は、極めて重要であり、善良な一般国民は報道機関にたずさわっている者に対して、より高き道義と良識を期待している。 言論報道の自由が憲法上保証されていることはいうまでもなく、従って報道機関の取材の自由も広範囲に認められて然るべきものであるが、その自由も無制限な行使を許されるべきものではなく、社会の規範に即し、調和のある運用が行われなければならない。 本件を例に取れば、現に捜査官憲が追及している犯罪者からの取材の方法は、他の一般者の場合と違って慎重な配慮が加えられなければならぬ。かかる犯罪者は、捜査官憲が国民に代わってその所在を追及しているものであり、国民がその検挙鎮圧を求めているものであって、このような者に対し、仮に取材の代償としてであれ、金員や宿泊所を提供して、その逃走に資するが如きは、法の許さないところである。かかる犯罪者には自首を勧め、(かかる事例は従前各新聞社に多い)応ぜざるにおいては、その所在を捜査機関に通報するのが常である。少なくともその逃走を助けないことが取材者の工夫である。その逃走を助けないで、然も取材の自由を果たすことこそ取材者の手腕とすべきものである。取材者が取材に溺れて犯罪集団のとりことなり、そのお先棒をかつぐのみならず、遂にその一味になり果てる如きは下の下である。かくの如きは、取材の自由からはるかに遠いものといわなければならぬ。 本件については、残念ながらそのような傾向の萌芽が見られる。いかなる自由といえどもオールマイティのものはない。その自由さえあれば何でもできる、他のどんな自由をも切り捨てることができる、というものではない。取材の自由もその具体的状況に応じて伸縮適応すべきものであって、暴虎馮河の乱暴が許されるものではない。犯罪者からの取材が、一般の取材に比してその手段方法において遙かに慎重を要するものであることを、この機会に強調しておきたい。 検察検事正が自制を求める程に報道機関側の自浄作用が喪失していた訳だが、この談話を全文掲載した新聞は一紙も無かったという。
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