川本三郎、否認から自供へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 00:26 UTC 版)
「朝霞自衛官殺害事件」の記事における「川本三郎、否認から自供へ」の解説
川本は埼玉県警察の調べに対し、腕章焼却について「腕章を預かった事さえ無い」と否認していた。また、川本が関連する家宅捜索でも腕章は発見出来なかった。事件に関連する物は、Nの引き出しから、滝田が川本宛に4万円送金した「電信為替振出請求書」と「フジモトニワタシテクレ、イチマンタリヌ、ワビル、タキタ」の通信文、滝田が中国共産党幹部に宛てた親書のコピーだけであった。 川本の拘置期限は1月19日午前0時であった。検察も川本から自供を引き出せず、18日午後7時、証拠不十分で釈放する方針となった。そこで、川本を今まで取り調べしてこなかった埼玉県警捜査員が取り調べることになった。捜査員は被疑事実について川本を尋問したが、川本は変わらず「被疑事実については全面的に否認します」と答えた。すると捜査員は「被疑事実については……《は》とは、なにか。逮捕状の被疑事実以外の君の嫌疑は認めるということか。君は新聞記者でことばを大切にする職業ではないか。今いった《は》の説明をしてもらおう」と居丈高に畳みかけた。意表を突いたこのやり取りで川本は一挙に崩れ、自供し焼却を認めた。 朝日新聞社は川本を1月19日付で退社処分とした。
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