島田泉 (考古学者)とは? わかりやすく解説

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島田泉 (考古学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/15 09:06 UTC 版)

島田 泉

島田 泉(しまだ いずみ、イズミ・シマダ、Izumi Shimada、1948年 - )は、日本出身のアメリカ合衆国考古学者人類学博士。南イリノイ大学人類学科教授シカン文明の名付け親として知られる。

経歴

  • 1948年(昭和23年)
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)
    • 修二郎が任期を延長するも、家族は一旦日本へ引き揚げる。
    • 母幾美子が病に倒れる。修二郎は大学を辞めて帰国。幾美子死去。
  • 1964年(昭和39年)
    • 再度米国より招聘があり、泉は父と共に渡米する。兄は日本に留まる。
  • 1971年(昭和46年)
  • 1973年(昭和48年)
  • 1974年(昭和49年)
    • メロディと結婚
    • ペルー北海岸(パンパ・グランデ)本格調査の為、夫婦でアンデス調査団に参加する。
  • 1975年(昭和50年)
    • 発掘仲間と休暇旅行(遺跡見学ツアー)中、無数の盗掘穴を発見する。これが後に彼によって「シカン」と名付けられた文明との出会いとなった。
  • 1976年 (昭和51年)
    • パンパ・グランデ発掘調査に関する博士論文により博士号を得る。同時にアリゾナ大学の客員助教授となる。
  • 1977年(昭和52年)
  • 1978年(昭和53年)
  • 1979年(昭和54年)
    • 本格調査開始。
  • 1983年(昭和58年)
    • 発掘調査の結果をもとに、バタン・グランデ周辺にあった古代遺跡を建造したプレ・インカ文化の名前を、19世紀に消滅した現地土着語で「神殿」を意味する「シカン」と名付ける。
  • 1989年(平成元年)
    • TBS報道特集」のプロデューサーであった三村吉彌、谷徳彦の尽力により資金援助を得る。同番組のキャスターであった小川邦雄をはじめとする取材班が発掘を克明に取材・記録。
  • 1991年(平成3年)
    • ロロ神殿北西角の発掘で黄金の冠を発見する。以降、同地点で数々の人骨、副葬品が出土。
    • TBS「報道特集」にて「黄金都市シカン」が放映される。以降、調査の経過報告などで数回放映された。
  • 1992年(平成3年)
    • ロロ神殿など一連の発掘作業を終了。
  • 1994年(平成6年)
  • 2005年現在も、ペルーカトリック大学のラファエル・セグーラと共にパチャカマック考古学プロジェクトを指揮するなど、南米古代文明の謎解明に情熱を注ぎ続けている。
  • 2009年(平成21年)
  • 2019年(令和元年)

著書

脚注

  1. ^ 『官報』号外第151号、令和元年11月5日
  2. ^ 令和元年秋の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 11 (2019年11月3日). 2023年2月21日閲覧。 アーカイブ 2023年1月21日 - ウェイバックマシン

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