島原素麺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:28 UTC 版)
長崎県南島原市などが産地。全国で2番目の生産量である。発祥については諸説あるが、島原の乱で人口が激減したため、幕府の政策で、四国から移住させられた人々(公儀百姓)の素麺づくりが始まり(小豆島伝来説 / 乱後移民伝来説)と、中国伝来説などがある。長崎では唐寺における仏事や一般の食生活として素麺が積極的に生産され、約400年前、島原半島にこれらの僧によってその製法が伝えられたとする説である。今でも福建省福州市では、長崎県南島原市で昔使用されていたこね鉢、巻き鉢、室、牛頭、バラ(竹で編んだ入れもの)などと同じような道具が使用されている。また、遣唐使のルートとして長崎平戸・五島列島があり、手延べの五島うどんが存在することや、肥前日野江藩(のちの島原藩)の藩主晴信の嫡男・有馬直純は当時の幕府への献上品に「素麺二千貫(御献上並び御進物用、江戸へ御仕送物)、素麺十五貫(御参勤の節、九月より霜月まで三度の御仕出)」を贈ったとの記録が当時の文献「国乗遺文」にあることから、島原の乱以前から素麺づくりが行われていたことが証明されており、中国伝来説が現在は有力と考えられている。品質に優れ、古くから三輪に供給されていた実績を誇り、全国へ流通される近年になってブランド力を高めている。
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