島原地方の「六兵衛」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/21 02:45 UTC 版)
島原では干したサツマイモを粉にしたものを麺の材料として用い、つなぎに山芋を使う。かつて島原半島や近接した諫早地方では、サツマイモが主食作物として非常に重要であった。秋に収穫したサツマイモは民家の床下に設けた貯蔵庫の中に籾殻で防寒して保存し、これを適宜切って粟や大麦、米とともに炊飯して主食としたが、そのほかに細かく切ったサツマイモを干し芋(そのまま食べられる蒸してから干したものではなく、生のまま乾燥したもの)にし、これを製粉して年間を通じての保存食とした。 以前はワラスボ(方言で、すぼたろうともいう)の干物でだしを取り、醤油で味付けしたつゆが使われていたが、現在では鰹節や昆布が使われることが多いという。 島原地方では名称の由来として、江戸時代に島原を飢饉が襲った際、深江村の名主を務めていた六兵衛が保存食のサツマイモ粉を食べる方法として考案したためにこの名前が付いたと言われている。
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