屋上ライヴに至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:54 UTC 版)
「ルーフトップ・コンサート」の記事における「屋上ライヴに至る経緯」の解説
新曲を伴ったライヴ・パフォーマンスのためのリハーサルとして1969年1月2日からトゥイッケナム映画撮影所で始まった、いわゆる「ゲット・バック・セッション」は、ジョージ・ハリスンの一時的な離脱を経て、新しいアルバムのレコーディング・セッションに変更された。1月21日にメンバー4人はサヴィル・ロウのアップル・コア本社に場所を移し、地下のスタジオで正式なレコーディングに取りかかった。1月22日にはハリスンがビリー・プレストンをキーボーディストとして連れてきた。 こうした状況の中、ポール・マッカートニーとドキュメンタリー映画制作のために撮影を行っていたマイケル・リンゼイ=ホッグは、公衆の前でのライヴ演奏でもってセッションを終わらせるという望みを依然として抱いていた。ビートルズの伝記作家である研究者のマーク・ルイソンによれば、ルーフトップ・コンサートの発案者は不明とされるが、提案自体はコンサートのわずか数日前にもたらされた。プレストンは「アップル・コアの屋上でコンサートを行うというアイデアはジョン・レノンによるものだった」と振り返っている。リンゴ・スターは「どこかでコンサートを行うことは決まっていた。パラディウムとかサハラ砂漠とかいろいろ候補が出てきたけど、機材のことを考えて屋上でやることに決まった」と証言。またリンゼイ=ホッグによるアイデアとする説も存在する。レコーディングのエンジニアを務めたグリン・ジョンズは自伝『サウンド・マン』の中でアイデアを出したのは自分だとし、こう述べている。「全員で3階に集まり、昼食をとっていたときのこと。そこの建物と特徴についてリンゴと話していたところ、彼から不意に、屋上に行ったことはあるかと聞かれた。ロンドンのウェスト・エンドが見渡せて、良い眺めなのだという。リンゴはわたしとマイケル・リンゼイ=ホッグを連れて上に向かい、広々とした平らな屋上と南西に延びる街の壮観な景色を見せてくれた。わたしはそこで思いついたことを口にした。大人数を相手にやりたいと思っているなら、この屋上でウェスト・エンド全域に向けてやったらどうだろう。下に降りてその案をみんなに伝えたところ、短い話し合いの末、それで行くことに決まった」。ロードマネージャーのマル・エヴァンズは1月26日付の自身の日記に、「昼食のあと、新鮮な空気を吸うために屋上に上がったあとで」アイデアが浮かんだと書き記している。
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