尾口発電所の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:36 UTC 版)
白山水力時代から北陸地方の送電設備には、手取川の吉野谷発電所を起点に北へ大北工業(石川県野々市町。傘下のカーバイド・フェロアロイメーカー)へと至る線と、反対に吉野谷発電所より九頭竜川の西勝原発電所を経て岐阜県の関町開閉所へ至る線の、2つの77kV送電線が存在した。前者の大北工業には7,200kWを送電。後者は関町から先は大同電力の送電線を介して愛知県内の東邦電力の送電系統に繋がっており、西勝原・吉野谷両発電所の出力のうち2万6,570kWが東邦電力へ供給されていた。また鳥越発電所の出力のうち1万2,000kWは京都電灯へと送られた(以上、供給電力の数字はいずれも1937年末時点)。 矢作水力の北陸での事業は白山水力時代から大きく変化がなかったが、1938年(昭和13年)12月になって石川県能美郡尾口村(現・白山市)に尾口発電所が新設された。手取川水系尾添川から取水する設備と尾添川支流目附谷川から取水する設備の2系統があり、前者はフランシス水車・発電機各2台、後者はペルトン水車・発電機各1台からなる(いずれも電業社製水車・芝浦製作所製発電機)。運転開始時は前者のみの稼働で発電所出力は1万1,300kWに限定されたが、翌1939年(昭和14年)1月に後者も運転を開始して出力1万7,200kWの発電所となった。 尾口発電所建設に先立つ1936年2月、京都電灯との間で発電所出力1万7,200kW全部を同社が受電する、という受電契約が成立していた。従って尾口発電所の新設は京都電灯の需要増加に応えるためのものである。発電所建設に伴い、既設送電線に余力がないため大聖寺開閉所経由で京都電灯福井変電所に至る送電線を両社共同で建設(矢作水力が尾口・大聖寺間、京都電灯が大聖寺・福井間を担当)、1939年4月1日に完成させた。京都電灯の福井変電所は同社の福井区域と京都区域を結ぶ京福連絡送電線の起点でもあることから、福井区域のオフピーク時には矢作水力からの受電がさらに京都方面にも送電された。
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