小霸王遊戯機(学習機)の歴史
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「小霸王」の記事における「小霸王遊戯機(学習機)の歴史」の解説
1980年代後半、任天堂ファミリーコンピュータが中国に上陸する。中国でもすぐにファミコンの人気が爆発するが、ファミコンは中国では正式販売されず、日本から輸入されたものが大都市などで細々と販売されていたのみであったため、その巨大な需要を満たすために海賊版の販売が始まった。 1989年、当時小さな工場であった小霸王の工場長として段永平が就任。ファミコン互換機の製造に進出する。これが「小霸王遊戯機」の第1世代である。任天堂の無許可製品でありながらショッピングモールなどで正式に販売され、アフターサービスも完備されていた。 1991年6月、小霸王はCCTVにCMを流す。CMの宣伝文句によると、この頃には小霸王の販売台数は100万台を突破していたとのことで、売上高は10億元に達するなど、既に小霸王遊戯機は中国で最も人気のあるファミコン互換機であった。 1993年、キーボード、マウス、学習ソフトなどが付属したホビーパソコンの形態を取った「小霸王遊戯機」が発売される。小霸王はCCTVのプライムタイムで「小霸王拍手歌」というCMを流す。 1994年、小霸王はCMにジャッキー・チェンを起用し、「小霸王学習機」の第2世代の販売を開始する。これに付属していた「英語詞霸」はパソコン教育用の補助教材として国家教育委員会の認定を受ける。 1995年8月、段永平が辞任して歩歩高を設立する。歩歩高も1990年代にはファミコン互換機を生産していた時代があった。 1999年、小霸王学習機の売り上げがピークに達する。 2000年代になるとソニーや任天堂が正式に中国に進出して互換機市場は縮小し、またPCの普及もはじまったため、小霸王学習機は教育市場で細々と販売される程度となる。 2010年代、もはや中国の農村部にまでスマホが普及し切って、中国スマホ市場の縮小期となった時代においても互換ゲーム機には一定の市場があり、また都市部においてもレトロゲーム愛好家やパチモノ愛好家らの市場があるため、PSP風やWii風の外観の「学習機」が販売されている。
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