小松飛行場の受入れ
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1950年代後半になると自衛隊組織も整備が進み、日本海側の拠点として当時在日米軍が管理し休眠状態だった小松飛行場の活用が計画された。この受入れを巡って小松市などの地元自治体では反対運動が発生したが、根上町は基地周辺の自治体ではあるものの、飛行ルートからややそれた位置にあった。そのため森は、特別調達庁(途中で防衛施設庁に移行)などと共に地元対策、調停を経験している。高度成長末期に入ると航空自衛隊の機種更新によって小松基地にもF-4EJが配備される見通しとなり、小松飛行場の周辺自治体では、周辺対策や運用規制を盛り込んだ「10・4協定」が締結される。 その後、基地という全国レベルの国防サービスに使用する公共財が特定の場所に存在することによる外部不経済の緩和を目的とした周辺対策の法整備が進んでいく。旧防衛施設庁(2007年防衛省に統合)による「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」等による周辺対策事業が実施され、その対象は小松市、加賀市、根上町であった。これら自治体には特定防衛施設周辺整備調整交付金などが支給され、防音工事や排水路改修にとどまらず、道路改修や民生安定対策として公民館、学校、保育園などの整備などが行われ、社会資本の整備が進んでいった。 この件に関して、茂喜は小松周辺自治体首長を集めて行われた雑誌対談にて次のように述べている。 「基地を中心に結論から言えば、私は終始一貫基地のおかげということを町民に訴えてきた。基地のおかげでいろんなものをしてもらっている。基地がなかったら、恐らく私の町の財政力で何一つできんでしょう。これは市にも言えることではないですか。まあ、その基地のおかげというものは、幸いにして周辺の自治体はみんな思っているんですよ。」 「一番いい例としてね。根上町の中心に(中略)保育園が防音でできたときに、たまたまその地域の町議会議員の一人の中に基地反対の議員がいた。そこで彼を建設委員長といいますか、工事委員長にした。そして竣工式に委員長として工事経過報告した際、「これも基地のおかげ」であると報告した。それは彼にとってその言葉がどんなに言いづらい苦しいことだったと思います。ところがね、彼は言いましたよ。基地のおかげで保育園が建ったら率直にそれを認めて、基地のおかげと言うことは何か不思議ですか。(中略)彼の態度は実に立派でした。その後私は町内のいろいろな懇談会や会合にこのことを町民の皆様に話してきました。」 「私は先ほどから皆さんに申し上げていることはね、耳ざわりな点もあるでしょうね。私は基地反対せんと、こう言う。しかし、これね、援護射撃をしているんですわ。そうでしょう。基地のおかげというものは、今小松の市長さんさえ言えんことでしょう。今の市議会の構成から言っても。基地のおかげさまと言うことを市長が言ったら、それはつるし上げに遭うぐらいね、お前市民のこと考えとるのかと、すぐやられる。ところが私はそれ言える立場や、ね。基地所在地でないから。だから区分はありますよ。基地所在地と基地周辺とは全然違うんだ。国の扱い方が。(中略)根上はいろいろやってもらっているから、まあありがたいという言葉が出る。」 また、自衛隊に対しては国防の為に必要と明言した他 「国を守るという基本から言っても、また現実に第一線に働いている自衛隊のあの姿見たときにね、これはわれわれはね、気の毒だという気がする。ねえ。命を的にして、はっきり言やね、いつあの世へ行くかわからない。そういうこと言や、またあの連中(基地反対派)は言うに決まっとるけれども、そういう危険を伴いながらも、ほんとに皆さんやっている。」 といったコメントを残している。
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