寝殿造以前の上層住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:55 UTC 版)
太田静六のあげた8項目は大陸の宮殿建築、上層住宅との違いであるが、例えば4世紀頃の「家屋文鏡」(画像811)や「家形埴輪」の時代から日本の支配者階級は床の家である。(2)から(6)も寺院や官衙はともかく、住宅においては大陸風に染まった形跡はない。問題は7点目と8点目となる。 811:「家屋文鏡」 812:法隆寺 伝法堂 813:移築前の伝法堂 814:藤原豊成の家 寺院建築と違って奈良時代の貴族の住宅は現存しない。しかし二つの建物の復元図がある。ひとつは聖武天皇の夫人の一人橘古那可智邸の一棟を移築したと伝える画像812の法隆寺伝法堂である。その解体修理時の調査から浅野清が移築前の姿を画像813のように復元した。建物は図の右から屋根の無いテラス、屋根付テラス。そして壁と扉に覆われた閉じた室(むろ)でその内部に間仕切りが無かった。現在は瓦葺だが当初は檜皮葺だったとされる。 もうひとつは東大寺の資材帳から関野克が復元した画像814の藤原豊成の家である。建物の中はひとつの大きな空間であり、それを濡れ縁が囲み、前後に大きな屋根付き吹き抜けの庇(テラス)が付く板葺きの建物である。連子窓が2つあるものの基本屋内は壁に覆われ、開口部は両開きの扉で、それを開かない限りほとんど光は入らない。そしてこちらも内部に間仕切りが無かった。 両例とも8点目の「中国や欧米でみられる閉鎖主義の個室本位」ではなく「融通自在で開放的な大部屋式」であることは寝殿造と共通する。しかしこれら奈良時代の貴族住宅には寝殿造とは全く異なる要素がひとつだけある。7点目の「密閉式」である。中国や朝鮮など大陸の貴族住宅とも、奈良時代の貴族住宅とも違う寝殿造の特徴とは、建物の外壁があまりなく開放的なことである。川本重雄はこう書く。開放的空間で構成された寝殿造は、奈良時代までの閉鎖的な住まいとは大きく異なるものであり、寝殿造の一番の特徴はまさにこの点にあるのである。日本の住まいは開放的だと言われるが、開放的な住まいは、この寝殿造から始まる。
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