寄贈から建物改築、現在までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 10:26 UTC 版)
「勝山文化往来館ひしお」の記事における「寄贈から建物改築、現在までの経緯」の解説
文化活動の拠点をつくりたいという勝山地域住民の願いを受け、町並みの中心にあった地元の醤油蔵の寄贈を求めて、当時の町長が清友醤油醸造所に足しげく通った。”本当に文化的な事に使っていただけるのなら”という条件で、当時の勝山町が醤油蔵など土地建物の一部を譲り受けた。 行政・住民地域づくり団体から構成される「勝山・町並み委員会」で活用方法を検討され、地域と都市、観光客やアーティストとの交流を促進し、地域社会の文化を向上する場となるとともに、市民参加の増進おうながす公設民営の文化施設づくりを目指した。 2004年(平成16年)、太田民雄の設計で清友醤油の醤油蔵を再生する。勝山の町並み地域の中心にある丘にあった地元の醤油蔵をそのまま活かして改修された。 2005年(平成17年)、文化往来拠点としての活用がスタートした 。名称の由来は、醤油蔵が製造していたひしおにちなんだ。醤油が世界で広く愛されるように、「ひしお」から生まれる新しい文化が世界を広く駆け巡るようにという願いがこめられており 、文化を醸造する「はぐくむ」という意味がある。運営は、真庭市の指定管理制度により、2005年からNPO法人勝山・町並み委員会が受託している。 2018年現在、地域住民、作家、鑑賞者がアートで交流できる拠点施設として利用されている。館長は、勝山町並み保存地区にある「ひのき草木染織工房」の染織作家・勝山町並み保存地区にある「ひのき草木染織工房」の染織作家、加納容子。
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