家康以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:56 UTC 版)
家康以後、天正18年(1590年)からは秀吉の家臣堀尾吉晴と、その次男堀尾忠氏が合わせて11年間在城したが、関ヶ原の戦いの功績で出雲国富田に移封。以後は、一時徳川頼宣の領地だった時期を除いて、譜代大名各家が次々に入った。近世には天守は存在しなかったようで絵図にも記載がない。本丸にあった二重櫓が天守代用とされていた。 浜松城は明治維新後に廃城となり破壊された。城址は昭和25年(1950年)に「浜松城公園」となり、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート製の復興天守が再建された。昭和34年(1959年)には浜松市の史跡として指定された。 現在の天守閣は資料館として使われており、家康を初めとした当時のゆかりの品々を見学できるほか、城の周辺は緑が溢れ、桜の名所としても名高く、シーズンには花見客で溢れ返る。 もともと曳馬城だった部分には、江戸時代には米蔵などが置かれていた。明治維新後の明治27年(1894年)に井上延陵によって東照宮が創建され、太平洋戦争中の昭和20年(1945年)に焼失したが昭和34年(1959年)に再建されて現在に至る。 2017年(平成29年)、続日本100名城(148番)に選定された。
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