家康の関東入部以後とは? わかりやすく解説

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家康の関東入部以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:06 UTC 版)

小見川藩」の記事における「家康の関東入部以後」の解説

深溝松平家松平家忠は、天正18年1590年)の家康関東入部とともに武蔵国忍城入ったが(忍藩)、文禄元年1592年2月19日下総国香取郡上代(かじろ。桜井城とも。現在の旭市櫻井)に移った。『家忠日記』には上代での動向詳しく記されているが、居城普請については言及がないため、仮の配置という見方がある。家忠は文禄3年1594年)に小見川城に移った。 家忠は鳥居元忠と共に慶長5年1600年)、関ヶ原の戦い前哨戦である伏見城の戦い戦死した家督は子の松平忠利継ぎ、翌慶長6年1601年2月三河国深溝藩移封された。 慶長7年1602年12月28日土井利勝1万石で入ったが、慶長15年1610年2月下総国佐倉藩32400石に加増移封された。慶長17年1612年)、安藤重信1万6000石で入部した重信元和元年1615年)に2万石の加増を受け、元和5年1619年10月にもさらに2万加増の上上野国高崎藩加増移封となった

※この「家康の関東入部以後」の解説は、「小見川藩」の解説の一部です。
「家康の関東入部以後」を含む「小見川藩」の記事については、「小見川藩」の概要を参照ください。

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