宋学に至るまでの注
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鄭註論語 後漢末の大儒、鄭玄の注釈書。『論語鄭玄注』などともいう。漢代当時、『論語』は魯・斉の二国に伝わる『魯論』・『斉論』の二つがあり、さらに漢初に孔子の宅から発掘された古文の『古論』があった。前漢末に張禹により『魯論』と『斉論』の整理が行われ、その上で鄭玄が三論を総合して『鄭註論語』を作った。 散逸して長らく逸文のみ伝わっていたが、20世紀初頭の敦煌トルファン学において、複数の古写本断片が発見された。それらの断片をまとめたものとして、日本では金谷治編『唐抄本鄭氏注論語集成』平凡社(1978年)がある。 論語集解 詳細は「論語集解」を参照 完本として伝わる最古の『論語』の注釈書が『論語集解』である。正始2年(241年)に成立した。朱熹の「新注(『論語集注』)」に対して「古注」と称される。編者は何晏(195年?-249年)とされるが、その伝記(『三国志』巻九)では編纂について言及されず、どこまでを何晏の解釈とするかは判断が難しい。 論語義疏 詳細は「論語義疏」を参照 南朝梁の皇侃(488年-545年)による注釈書。十巻から成る。『論語集解』をもととして、魏晋以来の諸家の注釈と皇侃自らの注釈から成る。別名『論語集解義疏』。晋から南朝宋に及ぶ六朝の『論語』に関わる議論を見るに、この本をおいて他は及ばないと評価される。当時の学術の風潮のため、玄学あるいは仏教的な解釈の引用も多いが、それらを穏当に論じる。 論語注疏 『論語集解』・『論語義疏』をもとにして、邢昺が詳細な注を加えたもの。これによって漢から北宋に至る『論語』の諸注が包含されて価値が高く、十三経注疏に入っている。 論語集注 詳細は「論語集注」を参照 南宋の朱熹(1130年-1200年)による注釈書。『四書集注』に含まれる。何晏等による『論語集解』の「古注」に対して「新注」と称される。 元において朱子学が国教化されて以降、明・清のみならず、朝鮮半島や日本にも影響を及ぼした。日本では林羅山の訓読法(「道春点」)が著名。
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