宋学に至るまでの注とは? わかりやすく解説

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宋学に至るまでの注

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 06:35 UTC 版)

論語の注釈」の記事における「宋学に至るまでの注」の解説

鄭註論語 後漢末大儒鄭玄注釈書。『論語鄭玄注』などともいう。漢代当時、『論語』は・斉の二国に伝わる『魯論』・『斉論』の二つがあり、さらに漢初に孔子の宅から発掘され古文の『古論』があった。前漢末に張禹により『魯論』と『斉論』の整理が行われ、その上で鄭玄三論総合して鄭註論語』を作った散逸して長らく逸文のみ伝わっていたが、20世紀初頭の敦煌トルファン学において、複数古写本断片発見された。それらの断片をまとめたものとして、日本では金谷治編『唐抄本鄭氏注論語集成平凡社1978年)がある。 論語集解 詳細は「論語集解」を参照 完本として伝わる最古の『論語』の注釈書が『論語集解』である。正始2年241年)に成立した朱熹の「新注(『論語集注』)」に対して古注」と称される編者何晏195年?-249年とされるが、その伝記(『三国志』巻九)では編纂について言及されず、どこまでを何晏解釈とするかは判断難しい。 論語義疏 詳細は「論語義疏」を参照 南朝梁皇侃488年-545年)による注釈書。十巻から成る。『論語集解』をもととして、魏晋以来諸家注釈皇侃自らの注釈から成る。別名『論語集解義疏』。晋から南朝宋に及ぶ六朝の『論語』に関わる議論を見るに、この本をおいて他は及ばない評価される当時学術風潮のため、玄学あるいは仏教的な解釈引用も多いが、それらを穏当論じる。 論語注疏論語集解』・『論語義疏』をもとにして、邢昺詳細な注を加えたもの。これによって漢から北宋に至る『論語』の諸注が包含され価値高く十三経注疏入っている。 論語集注 詳細は「論語集注」を参照 南宋朱熹1130年-1200年)による注釈書『四書集注』含まれる何晏等による『論語集解』の「古注に対して新注」と称される元において朱子学国教化されて以降明・清のみならず朝鮮半島日本にも影響及ぼした日本では林羅山訓読法(「道春点」)が著名

※この「宋学に至るまでの注」の解説は、「論語の注釈」の解説の一部です。
「宋学に至るまでの注」を含む「論語の注釈」の記事については、「論語の注釈」の概要を参照ください。

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