安定した税収の確保と生産性の向上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:40 UTC 版)
「地租改正」の記事における「安定した税収の確保と生産性の向上」の解説
税率を地価に対する一定率とすることにより、従前のように農作物の豊凶により税収が変動することなく、政府は安定した収入を確保することができるようになった。具体的には、農作物の価格変動リスクを、政府から農民へ転嫁したものといえる。しかも、「旧来の歳入を減じない」という方針によって3%という高額な税率が算定されたのである(なお、地租改正の推進派であった木戸孝允はこの高税率を聞くと、農民を幕藩体制よりも酷い状況に追い込むものだとして最後まで反対している)。 これは結果的には大多数の農民の負担を高めることにつながり、また土地の所有者がおらず納税が困難な入会地が事実上、政府に没収されたことなどから伊勢暴動、真壁暴動など一揆(地租改正反対一揆)が頻発し、自由民権運動へ影響を与えた。このため、士族反乱と農民一揆の結合を恐れた大久保利通の意見で、前述の通り、1877年(明治10年)に税率が2.5%に引き下げられた。これにより、江戸時代に比べ平均2割程度の減税となった。 江戸時代であれば収穫高に応じて年貢を納めていたので、仮に収穫が上がるとその分年貢も増えていた。しかし、地租の場合は納める税金は一定であるため、収穫を増やせば、その分は自分の取り分となった。そのため勤労意欲が湧くことになり生産量が増加した。 また、地租改正では、農民は自分で作る農作物を決められるようになった。従来は幕府や藩が決めた農作物しか作れないのが原則だったが、地租改正以降はその縛りが無くなった。農民は儲かりそうな作物、実入りが良さそうな作物を自由に選択することができるようになった。
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