婚約者・家族のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:17 UTC 版)
婚約者の女性(事件当時22歳)は事件後、「健気に中山を支えた」として一部マスメディアから「美談」として報道された。しかし1992年2月6日付で、婚約者は中山に「婚約不履行となった場合は慰謝料5,000万円を支払う」という内容の書面を書かせたほか、中山が後述のように運送会社で働き始めて以降は次第にすれ違うようになり、別居するようになった。 このことから1992年5月ごろ、中山が電話で婚約者と会話していた際に「こちらに来てくれないなら別れよう」と言ったところ、婚約者の母親が電話に出て「別れるなら慰謝料を払え」と迫り、6月には婚約者側が横浜市内の中山宅を売買できないよう、仮処分申請を出した。その後も中山側・婚約者側双方の対立は続き、同年11月には婚約者側が東京地方裁判所へ「婚約不履行」を主張して中山を提訴した。また元婚約者は「中山は事件後も反省しておらずヘラヘラしており、事件後には自分に『女の子を産んでくれ。自分の子なら何をしても罪にならない』などと言っていたほか、川島セ・リーグ会長から更生を促すため送られた本も平然とゴミとして捨てていた」などと主張した一方、中山側も1993年1月に「その本は元婚約者が中山家から盗んだものだ」と主張して神奈川県警磯子警察署へ窃盗・名誉毀損で元婚約者を告訴していた。これに加え、中山側は民事訴訟でも元婚約者側に対し「勝手に選手会への積立金500万円・自動車(ベンツ)・家財道具などを持ち出された」と反論し、双方が民事訴訟を起こす訴訟合戦状態となった。 しかし、この民事訴訟合戦は1993年末になって中山側が2,500万円の慰謝料を支払う形で和解した。中山の知人は『週刊新潮』記者からの取材に対し「本来なら離婚訴訟でさえ慰謝料の相場は500万円程度だが、中山は『裁判が長引くのは困るし、彼女に持ち逃げされた500万円・ベンツなど計約5,000万円の被害はなかったことにする』として和解金額2,500万円を提示した」と証言した一方、元婚約者は1994年8月に同誌記者からの取材に対し「自分の尻ぬぐいさえ満足にできないような中山が再びマウンドに立ったことだけは許せないし、自分も信じられない思いだ。事件の被害者・家族は見ていられないだろう」とコメントしていた。
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