奥州七観音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 20:39 UTC 版)
奥州七観音(おうしゅうななかんのん)は、旧陸奥国内(現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県)にある7ヶ所の観音霊場。三迫の新長谷寺並びに六箇寺、六ヶ寺とも。
原典
注釈
出典
- ^ 阿部 2004, pp. 101–102.
- ^ a b 阿部 2004, pp. 80–82.
- ^ 阿部 2004, pp. 240–241.
- ^ a b c 阿部 2004, pp. 82–88.
- ^ 阿部 2004, pp. 31–33.
- ^ 内藤 2007, pp. 205–207.
- ^ a b c d e 内藤 2007, pp. 230–231.
- ^ a b 阿部 2004, pp. 110–111.
- ^ 阿部 2004, pp. 116–120.
- ^ 高橋 1986, pp. 209–211.
- ^ 高橋 1986, pp. 211–212.
- ^ 内藤 2007, pp. 228–230.
- ^ 阿部 2004, pp. 108–109.
- ^ 阿部 2004, pp. 109–110.
- 1 奥州七観音とは
- 2 奥州七観音の概要
- 3 史実性の議論
- 4 脚注
奥州七観音
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「奥州七観音」も参照 奈良県桜井市初瀬にある長谷寺の霊験譚が記された鎌倉時代前期の仏教説話集『長谷寺霊験記』では、三迫の新長谷寺並びに六箇寺の由来が語られる。奥州三迫に長谷信仰を伝え、各地に新長谷寺を建立した勧進聖たちによって創出、管理されたこの説話は、田村麻呂の事績と結び付いて創られた。 『長谷寺霊験記』の成立から約400年後となる安永年間(1772年 - 1781年)に仙台藩がまとめた『風土記御用書出』の「華足寺書上」に所収される「田村将軍様奥州七ヶ所観音御建立由来之事」では、六箇寺のひとつで宮城県登米市東和町にある華足寺の縁起とともに奥州七観音の由来が記されている。この縁起の中に伊勢国鈴鹿山まで攻め登った鬼神として大武の名前が登場する。 『長谷寺霊験記』では東夷が常陸国まで攻めてくるのに対し、『風土記御用書出』では鬼神の大武が鈴鹿山に攻め上がるとある。他にも鈴鹿御前が登場していることなど、基本的構造は『長谷寺霊験記』を残しつつ、華足寺の縁起ではお伽草子『田村の草子』など後代の作品と交流したことで、新らたな物語の挿入や改変がされて大嶽丸が登場した。奥州七観音は、地域的には奥浄瑠璃『田村三代記』が語られた宮城県、岩手県が中心となる
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